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202409京都旅行〜最終日の記録

寺社の拝観だけではない楽しみ

昨日は、午後14:00台の新幹線で帰京するため、どこかを訪ねるなら午前中、ということで考えたが時間的にも厳しいし、今回は行き先が浮かばなかった。初日と二日目、厳しい残暑の中、両日とも3万歩近く歩いたため、無理しないことに。お寺や神社を拝観するのはあきらめて、四条烏丸の宿泊先の近くのカフェでモーニングをいただいた後、四条通を東に向かい、鴨川を渡って祇園周辺を散歩することにした。

距離は片道2kmくらいあったと思うが、大きな通りから一本入った路地の街並みや、高瀬川&鴨川を渡って祇園のアーケードの商店街をただ歩いて八坂神社を目前に見てから宿に戻った。

京都を旅行していつも思うのは、初日の嵐山の桂川といい鴨川といい、繁華な観光地を流れている川がとても綺麗でゴミもほぼない、ということ。観光客がゴミのポイ捨てをしない、というのは考えにくいと感じていたが鴨川についてはその謎が解けた。何人かのグループでゴミ拾いのボランティアと思われる活動をやっている様子を、この散歩のときに直接目にしたのだ。いつも綺麗なので日曜日のみということはないのだと思う。

街と人を元気に


四条大橋のすぐたもとに石像が建っていて、なんだろう、としらべてみたら「出雲の阿国」と立札に解説があった。

(引用)
「1603年(慶長8)、出雲の阿国はこの四条河原で先鋭的な伊達男風の扮装で「かぶきをどり」を披露、関ケ原合戦後のすさんだ世に都人を驚かせ絶大な喝采を浴びました。」
(引用終)

その後、種々経緯あって、女人歌舞伎は禁止されて現在のような男性のみによる形式となったとのこと。まさにここが歌舞伎発祥の地ということを学んだ(もしかすると宝塚の原型?)。だから南座歌舞伎もこの場所にあるのか、と思い当たった。

そこから少し歩いて四条通に面した新京極の入り口にも立札に説明文があった。
(引用)
「天正年間(1573~1592)、豊臣秀吉が市中の多くの寺院を寺町通りに集めたことに伴い、その境内が縁日の舞台として利用され、周辺は見世物や催し物を中心に発展することとなった・・・・明治5年(1872)、このことに注目した京都府参事は、東京遷都で衰えていた市民の士気を盛り上げるべく、寺院の境内を整理して、そこに新たな通りを造った・・・」
(引用終)

お寺や神社の参拝のみでなく、街歩きをしていても学ぶことが多い。京都は一日にして成らず、ということもよくわかって収穫だった。


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