「胡蝶の夢」
映画や物語に見る投獄の経験
20代の学生のころ、加賀乙彦氏の作品:「宣告」を読んだ。刑務所の中で死刑宣告を待つ死刑囚の日常生活や極限状況にある心理描写がすごい緊張感を生む小説だったと記憶しているが、そんな状況にある人間の様相を描いた作品に、なぜか強烈に引きつけられるものを感じたことを覚えている。
かなり後になって、知り合いに勧められて有名な「ショーシャンクの空に」のDVDを観た後、「Deadman walking」、「グリーンマイル」、「4分間のピアニスト」、それから実話に基づく「パピヨン」など立て続けに観ていた時期がある。(思い起こせば少々病み気味だったのかもしれない。)
いずれも、パワハラ・モラハラではすまない暴力、踏みにじられた人権、刑の執行を待つだけの日々、など、すさまじい環境で、その辛さに耐えるには、主人公は何を心の拠り所として生きるのか、ということに注目してこれらの映画を観ていたと思う。
心の拠り所として描かれていたもの
心の拠り所として描かれている、と自分が感じたことを挙げると以下の通りである:
・ 心許せる/信頼に足る間柄の人間の存在
・ 周囲に認められる特技を生かす場面があること
・ 一縷の望みであっても、将来への希望
・ 反骨心、又はあきらめない心
・ 音楽
・ 小さな事であってもよくしようと能動的に取り組む機会があること
・ 信仰
(そして、映画での描き方によって、作り手の人間観がわかって安堵したり落胆したりしていた。)
英一蝶の場合
一昨日たくさんの作品を鑑賞してきた英一蝶については、重罪ではなかったものの、ほとんど江戸に帰る見込みのない流刑地で、のちのち高く評価された作品群の創作活動に励んでいたのも、上記のいくつかに該当するのだろうか。
そして、印象深いのは、英一蝶という画名を名乗ったのは、江戸にもどってからで、その由来は、荘子の「胡蝶の夢」に由来するという解説文を美術館の展示で目にしたことである。荘子の「胡蝶の夢」というのは、AIの解説によれば以下:
(引用開始)
「胡蝶の夢」は、夢と現実の区別がつかない様子や、人生のはかなさを意味する四字熟語です。
中国の戦国時代の思想家である荘子が、夢の中で蝶になり、目が覚めた後に自分が夢のなかで蝶になったのか、蝶がいま夢のなかで自分になっているのか、と疑ったという「荘子」の「斉物論」の故事に由来しています。
(引用終)
どちらが夢か現実かわからなくなるような強烈な自身の経験を、故事から一字取って画名にしてしまうセンスがすごい。あまり悲壮感を感じず、自分や世の中をメタ認知できている人だったのかもしれない、とも感じる。心の拠り所、と言うのが適切かどうかわからないが、余裕をもって達観する力、というのは間違いなく強烈な逆境を生き抜く力になるのだ、ということに思い当たった。
課題図書の抜き書き
思考の持つ力、それはあなたの完全支配下にある唯一の力である。
私たちはできていないが、成功者はやっている52のこと
ナポレオン・ヒル