日本人的美徳の落とし穴:ただ愛される自信がないだけかも
真面目。勤勉。努力家。
おもてなし。気遣い。気配り。
責任感。忍耐力。協調性。
日本人の美徳と言われるもの。
気づいてしまいました・・・これ、
「愛される自信がない」ことと裏表
なんじゃないかと。(もちろんそうじゃない人もいると思いますが。)
↑こちらの記事でも書いたんですが、
ありのままで愛される自信がない、条件付きの愛しか知らないと、
愛されることには対価を払わなければならないという感覚になります。
てことは、そう思っているからこそ、真面目に働く。
ブラック企業にだって勤められてしまう。
「わたしなんかに価値はないから、これくらいしなければならないんです。もちろん苦しいですが。仕方ありません。わたしに価値はないので」
「必要としていただけるだけありがたいです、がんばりますのでこれからも見捨てないでください」
そういう感じですね。
めちゃくちゃ尽くします。
義務を果たします。責任を負います。気を遣います。
そして限界がきていきなり爆発四散します。
「こんなにしてやってるのに大事に扱われないとか意味不明なんだが!?」
と逆ギレします。(´・ω・`)知らんがな
大事に扱われないのは当たり前ですよね、そもそも自分からそう望んでいたんですからww
・・・ということを自覚できていません。
しかもそういう人って、「自分のせいで貧しくなったくせに人から助けてもらおうとするなんて甘えだ!」と、一部の悪質な生活保護受給者や、権利ばかり主張するような人間のことをとても嫌います。
自分のことも他人のことも愛せなくて悲しいですね。
わたしがそうだっただけですがw
遅刻ばっかりしているのに「なんかみんな許してくれちゃうんだよね☆」「困るとみんな助けてくれるんだよね☆」みたいなルーズな愛されキャラに対して、「なんなんだこいつ」とずっと思っていましたが、彼らはただ愛される自信があったってことですね。
少しは見習いたいなと思いましたw
まあそういう愛される自信だけあっても、自己認識ができていないと他者を鏡にしてしまうので、結局不幸だなと思います。
そういうキャラの子たちはだいたい承認欲求が強いし、場の雰囲気に流されやすく、主体的に人のことを愛せていないので。
自分にとって何がよろこびとなるのかを知らない。魂とつながっていないとそうなってしまうんですね。
要するにどっちもどっちだ。ww
愛される自信だけある人と、愛される自信がない人の相性は最高で最悪ですww
皆が自己認識して魂とつながれると良いですね。
そして本質的な意味での愛のやりとり――対価なく、利用せず、特定の結果を求めずに、自らのよろこびをもって愛を与え合う。
その結果としての「真面目。勤勉。努力家。おもてなし。気遣い。気配り。責任感。忍耐力。協調性。」そんな日本人的美徳が発揮されると良いなと思います。
イメージは古き良き商店街の雰囲気です。あまりなじみないですけど・・・
社畜とは似て非なる日本人像。
そんなことを思いました。
読んでくださってありがとうございます^^