柳澤健(1960.3.25- )「ぼくらのふしぎな橋本治 第二回 全共闘 第三回 かぶき者」『小説宝石』2024年3月号 p.396-415
柳澤健(1960.3.25- )
「ぼくらのふしぎな橋本治
第二回 全共闘
第三回 かぶき者」
p.396-415
『小説宝石』
2024年3月号
光文社 2024年2月22日発売
https://www.amazon.co.jp/dp/B0CVBLTR2W
https://www.kobunsha.com/shelf/magazine/current?seriesid=104001
橋本治(1948.3.25-2019.1.29)
「妹が親に買ってもらった通信販売の教材を見て、
たちまちシンプルなメリヤス編みをマスターした。
セーターで絵を描くつもりだった。
恐るべき手間と時間をかけて、
橋本治は牡丹や麻の葉を、
源氏車[御所車の車輪を図案化した紋所・文様]や
吉野山の桜を、
北斎「怒濤図」の男浪女浪(おなみめなみ)を、
歌川国芳の「崇徳院」や
「相馬の古内裏(ふるだいり)」の
巨大な髑髏(どくろ)を、
豊原国周(とよはらくにちか)の
「けいせい敷島(しきしま)
澤村田之助(たのすけ)」や
「積恋雪関戸(つもるこいゆきのせきのと)」の
墨染桜を、本を読みながら次々に編んだ。」
p.415
「歌舞伎には、派手な色を見事なバランスで着こなす
男たちがいるのに、どうして現代の男は自分の服装で
自己主張することなく、周囲と同じ黒や紺やグレーを
着て安心するのか。
近代以降、日本の男から色彩が失われたのはなぜか。
戦国末期から江戸初期にかけて、派手な身なりをして
常軌を逸した行動をする者たちは "かぶき者" と呼ばれた。
途方もない時間と手間をかけて江戸の美意識を身に纏い、
ヘルメットとゲバ棒が横行するキャンパスを堂々と歩いた
橋本治こそ、当代随一のかぶき者であり、
真の反体制であった。 (つづく)」
p.415
「源氏車」
御所車の車輪を図案化した紋所・文様
https://kotobank.jp/word/源氏車-492068
https://blog.goo.ne.jp/obiasobi/e/1a7977d38b64d45e2bb212b66e508362
北斎「怒濤図」の男浪女浪(おなみめなみ)」
https://hokusai-kan.com/collection/kanmachi/
https://www.nichibun-g.co.jp/data/education/k-bi-museum/k-bi-museum020/
「葛飾北斎は1840年半ば頃、80歳代で小布施を訪れたときに、
上町(かんまち)祭屋台の天井絵を制作しました。
「男浪(おなみ)図」は「女浪(めなみ)図」と一対で、
それぞれ縦横およそ118cmの桐の板に描かれています。」
「歌川国芳[1798-1861]
「崇徳院」1842
https://ja.ukiyo-e.org/image/bm/AN00587132_001_l
「相馬の古内裏(ふるだいり)」の巨大な髑髏(どくろ)」
https://www.nichibun-g.co.jp/data/education/k-bi-museum/k-bi-museum013/
「相馬小次郎こと平将門が下総国猿島郡に内裏を模して建てた屋敷が、将門の乱の兵火で廃屋となったもの。将門の娘、滝夜叉姫(たきやしゃひめ)が父の遺志をつごうと、この廃屋で妖術を使って味方を募り、やがて妖怪が出没する」
「豊原国周(とよはらくにちか)
「けいせい敷島(しきしま)
澤村田之助(たのすけ)」1889
https://ukiyoe-takei.com/items/5ec79117cee9ea03bf9609e7
積恋雪関戸(つもるこいゆきのせきのと)」の墨染桜」
https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/collections/view_detail_nishikie?division=search&class=nishikie&kw=豊原国周&aid=3&did=443
読書メーター
柳澤健の本棚
登録冊数58冊
刊行年順
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091212
橋本治の本棚
登録冊数42冊
刊行年順
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小説宝石の本棚
登録冊数2冊
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https://note.com/fe1955/n/nd68febc9004e
https://note.com/fe1955/n/nc712b1249535
柳澤健(1960.3.25- )
『2016年の週刊文春』
光文社 2020年12月刊
528ページ
追悼・勝谷誠彦[1960.12.6-2018.11.18]
“恐るべき新人”だった文春時代
57歳の早すぎる死
文春オンライン 2018/12/30
「「人はオーバーワークが重なって、
それが当たり前の状態になってしまうと、
「出来ません」ということが、言えなくなるのです。
「出来るか、出来ないか」の判断をする前に、
自分の頭の中でそれをするためのやり繰りをつけようとしています。
過労状態が当たり前になっているので、
脳の回路のどこかがぶっ壊れて、
「もう無理だ」という判断が出来なくなっているのです。
「ちょっとしんどいかもしれないな」と思いながら
ちょっとづつ無茶を引き受けているので、
無理が当たり前になり、「もう無理」という
選択肢自体が消滅してしまうのですね。
だから、「あれをこうして、こうすれば、
なんとなく出来るか?」などという
勝手な判断を頭の中でしています。
そのこと自体が無茶だとは気づけないないんですね。
そういうところに入り込むと、
人は後一歩で過労死です。」
橋本治
『いつまでも若いと思うなよ
新潮新書』
新潮社 2015.10
p.110
「第七章 病気になる」
職場に一日13時間以上居るのが当たり前だった
二十年前の私は、過労死ではなく、
うつ病を発症しました。49歳でした。 」
https://www.amazon.co.jp/dp/4106106396
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