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須賀敦子(1929.1.19-1998.3.20)『須賀敦子の本棚 文藝別冊』河出書房新社 2018年3月刊  日記 2018年5月12日

日記
2018年5月12日

須賀敦子(1929.1.19-1998.3.20)
『須賀敦子の本棚 文藝別冊』
河出書房新社 2018年3月刊
福岡市総合図書館蔵書

https://www.amazon.co.jp/dp/4309979394
「没後20年を迎える須賀敦子を、
彼女が愛した本や作家からとらえる総特集。
池澤夏樹、松山巌、湯川豊、若松英輔他。
【未刊行の文章と翻訳】
「日本の作家たち」「聖心の使徒」翻訳選
【須賀敦子の愛した作家たち】
若島正/藤谷道夫/北代美和子/鈴木昭裕 ほか
【詩人としての須賀敦子】
四方田犬彦/井坂洋子/小池昌代/野村喜和夫
【エッセイ・評論】
湯崎夫沙子/岡本太郎/佐久間文子/古賀弘人」

新潮社
Webでも考える人
2018年5月7日
津野海太郎(1938.4.6- )
最後の読書 13
 いつしか傘寿の読書日記
http://kangaeruhito.jp/articles/-/2434

須賀敦子(1929.1.19-1998.3.20)

「1953年にパリに留学した上層中産階級の若い女性が、
その7年後、なぜミラノで、カトリック左派
(閉鎖的な教会制度に異をとなえ、そとの民衆世界にそれを開放する)
の知識人がつどうコルシア書店の運動に加わり、
1970年代はじめに、なぜそこから離れざるをえなくなったのか。」

1955年1月生まれな私は、
聖心女子大学図書館に勤務していた頃(1978-87)、
英文科非常勤講師としてダンテの講義をされていた
須賀敦子先生(聖心女子大学卒業)のお名前を知りましたが、
その後、
ナタリア・ギンズブルグ
『ある家族の会話』
白水社 1985.12
以降の訳書、
『ミラノ 霧の風景』
白水社 1990.12
以降の著書を読んだことはありませんでした。

須賀敦子を主題とした三冊目の
『文藝別冊』224ページ
を読み終えて、
津野海太郎さん(1938.4.6- )が
先月、2018年4月3日に徹夜して読んだという
「松山巌の編んだ須賀敦子の長大な「年譜」
[約200ページ
『須賀敦子全集 第8巻』河出文庫 2007.4]
も読んでみたくなりました。

「須賀敦子の生涯と信仰を考えるときに重要なのは、
彼女はカトリック左派に影響を受けた人物ではなく、
その運動がもっとも激しく動いている時代パリに、
あるいはミラノにいて、
その歴史が作られつつある渦中にあったということなんです。」
p.47
若松英輔(1968- )
「須賀敦子の信仰と言葉」

「独身者ばかり、それも聖職者をまじえての小さなミラノの
青年共同体[コルシア書店]に、女性、しかも極東の日本から
到来した女性が突然に「入団」し、その重要メンバーと結婚したとき、
彼らがいかに動揺したか、共同体がいかに変質したか。
ちょうど同じ時期のロンドンで、
ビートルズの前に小野洋子が出現したときのことを考えてみれば、
それは容易に想像がつく。」
p.158
四方田犬彦(1953.2.20- )
「須賀敦子と詩的なるもの

須賀敦子さんは
1960年1月にペッピーノに出会い、
1961年11月15日に結婚。
オノ・ヨーコさんが
ジョン・レノンに出会ったのは
1966年11月で、結婚したのが
1969年3月20日ですから、
同じディケイドでも、
「ちょうど同じ時期」
ではないと思いますけど。

読書メーター
須賀敦子の本棚 登録冊数8冊
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11273580

https://note.com/fe1955/n/n881bdedc3814
須賀敦子(1929.1.19-1998.3.20)
『須賀敦子エッセンス 1
 仲間たち、そして家族』
湯川豊編 水上多摩江装画
河出書房新社 2018年5月刊
263ページ

https://note.com/fe1955/n/nab149ddbd805
『小説新潮』2020年9月号
いしいひさいち(1951.9.2- )
「剽窃新潮 第3回」
筒井ともみ(1948.7.10- )
「もういちど、あなたと食べたい 第十回
 須賀敦子さんと「フ・リ・カ・ケ」
日記 2020年10月10日

https://note.com/fe1955/n/n6a0ae45f68cf
酒井順子(1966.9.15- )
「人はなぜエッセイを書くのか
 日本エッセイ小史 第六回
 女性とエッセイ」
『小説現代』2021年2月号
「「1990年に刊行された
『ミラノ 霧の風景』は[須賀敦子]自身の著書としては
最初の作品(訳書はあり)です。この時、須賀は61歳。」

https://note.com/fe1955/n/n818f98daca0d
津野海太郎(1938.4.6- )
『おかしな時代
 『ワンダーランド』と黒テントへの日々』
本の雑誌社 2008.10
『百歳までの読書術』
本の雑誌社 2015.7
『最後の読書』
新潮社 2018.11
『かれが最後に書いた本』
新潮社 2022.3
「2018年9月5日 17 貧乏映画からさす光 その2
北原怜子[1929.8.22-1958.1.23]が
「蟻の街」の住民となった50年代初頭、
須賀敦子[1929.1.19-1998.3.20]は
慶應大学大学院(社会学)に籍をおき、
武者小路公秀[1929.10.21-2022.5.23]、
有吉佐和子[1931.1.20-1984.8.30]、
犬養道子[1921.4.20-2017.7.24]
といった他大学の若者たちと、
カトリック学生連盟の一員としての活動をはじめていた。」
https://kangaeruhito.jp/article/5326

「1953年に、須賀敦子は政府援助留学生として、カトリック左派運動やエマウス運動の本拠地であるパリにむかった。しかし、とうとう納得できる解答を得られないままに、1960年、いくつかの偶然の出会いもあってミラノ・コルシア書店の活動に加わり、その中心にいたペッピーノと結婚する。
 この間の遍歴については『ミラノ 霧の風景』や『コルシア書店の仲間たち』などの著作にくわしいので、とくには触れない。ここでの私の関心は、神戸の、きわだって知的で裕福な家庭にそだった若い女性が、鉄道員の息子ペッピーノとの結婚によって、生まれてはじめて貧困の現実をじぶんで生きることになった。その落差によって須賀がうけた衝撃の深さにある。それを知る手がかりとして、もういちど戦後イタリアのネオ・レアリズモ映画に頼ることにしたい。
 戦争が終わって10年がたち、マーシャル・プランの時代も終わって、庶民の暮らしはいくぶんか楽になっていた。そんな時期、つまりネオ・レアリズモ運動の末期につくられた映画に、ピエトロ・ジェルミ監督の『鉄道員』がある。『ミラノ 霧の風景』中の「鉄道員の家」によると、1956年製作のこの映画を、須賀はペッピーノが67年に死んで20年ほどのち、東京ではじめて見たらしい。

 〔夫が死んでまもないころに〕もしこの映画を見ていたら、おそらく私は自分が溶けてしまうほどの、もういちど立ち上がれないほどの衝撃を受けただろう。ごくはじめのところで、主人公〔ジェルミ監督がみずから演じるローマ・ミラノをむすぶ急行列車の機関手〕が夜中によっぱらって家に戻ってくる場面がある。ドアに鍵をさしこんで家に入っていくと、家族はみんな出かけていて、あたりは真っ暗だ。その瞬間、あ、スイッチは左側にある、と私のなかのだれかが言って、私を完全に打ちのめした。どの鉄道官舎も間取りが似ていて、映画に出ているアパートメントは、それほど、あのミラノ・ローマ本線の線路沿いの夫の実家そっくりだったのである。」
津野海太郎(1938.4.6- )
「2018年9月5日 17 貧乏映画からさす光 その2」https://kangaeruhito.jp/article/5326


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