五味文彦(1946.1.30- ) 『後鳥羽上皇 新古今集はなにを語るか 角川選書』角川学芸出版 2012年5月刊 368ページ
五味文彦(1946.1.30- )
『後鳥羽上皇 新古今集はなにを語るか
角川選書』
角川学芸出版 2012年5月刊
368ページ
2012年7月6日読了
福岡市総合図書館蔵書
https://www.amazon.co.jp/dp/4047035068
https://www.kadokawa.co.jp/product/201202000189/
「後鳥羽はなにを「和歌の力」に頼んだか?
新古今集成立の背景と史実を探る!
幕府討滅計画=承久の乱で知られる後鳥羽上皇は、なぜ『新古今集』の撰集にあれほどの心血を注いだのか。幕府の「武」に対し、これを圧倒する文化統治として「和歌の力」を位置づけた上皇の足跡と史実を描く。」
「神器なき帝、後鳥羽上皇はなぜ若くして短期間に『新古今集』を編むことができたのか。そこには王権を高揚させる強力な文化統治の手段として和歌・勅撰集を位置づけ、幕府を凌駕し、「武」を圧倒しようとした上皇の強い意志があった。
この『新古今集』成立にいたる道筋を、歌会・歌合の記録や撰集の過程から詳細に跡づけ、朝幕関係を含んだ複雑な史実とともに丹念に描き出し、武家政権下の王と「和歌の力」を浮き彫りにする。
五味文彦 1946年生まれ。放送大学教授・東京大学名誉教授。日本中世史専攻。人物史を中心に、絵画や文学、和歌などから歴史を解明。著書に『殺生と信仰』角川選書、『中世の身体』角川叢書など多数。『中世のことばと絵』でサントリー学芸賞、『書物の中世史』で角川源義賞受賞。
〈目次〉
はじめに
1 激動の時代を経て
一 神器なしの王位
1 僥倖と欠落と
2 母乳をめぐる争い
3 天皇の成長
二 自立への道
4 入内争い
5 法皇の死
6 親政の展開
三 政治の激変
7 武家の上洛
8 脱兼実に向けて
9 親政から院政へ
2 王と和歌文化
四 後鳥羽院政
10 後鳥羽院政の展開
11 公武の衝撃
12 王の歌
五 百首歌を詠む
13 和歌をめぐる環境
14 通親を超えて
15 正治初渡百首
六 和歌を詠む喜び
16 定家と上皇
17 歌への意欲
18 光と影
七 勅撰集を見据えて
19 能力を見極める
20 勅撰和歌集の勅撰に向けて
21 撰集への動き
3 勅撰和歌集の構想
八 文化統合
22 院三度百首歌
23 和歌所の開設
24 熊野御幸に向けて
九 撰集の開始
25 熊野御幸と定家
26 撰者の指名
27 仏教界の嵐
十 目標を定める
28 撰集の指標
29 新たな和歌空間
30 水無瀬恋十五首歌合
十一 壁にあたる
31 千五百番歌合の達成
32 時代の変わり目
33 続く不幸と立ち直り
4 新古今和歌集の成立
十二 撰集の山場
34 和歌書の活動
35 関東の異変
36 俊成九十歳の賀
十三 新古今和歌集の成立へ
37 幕府と朝廷の関係
38 和歌所の撰集
39 編纂の最終段階
十四 新古今和歌集の奏覧
40 真名序の成立
41 奏覧と竟宴
42 仮名序と義経
おわりに
参考文献」
1946年生まれの日本中世史学者による
後鳥羽院(1180-1239)の伝記。
彼の誕生から新古今和歌集の奏覧と竟宴が行われた
元久二年(1205)までの前半生が描かれています。
多くの歌会や歌合や神社への奉納などで詠まれた、
後に新古今集に収録される和歌が次々に引用され、
その和歌の作者についても紹介されるので、
新古今集を編年順に拾い読みしている気分を味わえました。
登場した人名と和歌の索引がついていると良かったのになぁ。
「後鳥羽上皇についての本格的な伝記は意外に少ない。
もちろん後鳥羽天皇といえば、『新古今和歌集』を編んだことから
国文学研究では常に触れられており、よるべき著作は多いのだが、
そこでは和歌の話が中心となることもあって、多くは淡白な傾向にある。
そうしたなかで作家の丸谷才一氏は、
『日本詩人選』の一冊(筑摩書房 1973年)として
評論『後鳥羽院』を著したが、これは淡白さを超え、
人物の評伝のあり方や、天皇が詩人であることの意味、
さらに文化と政治とのかかわりなどについて、
きわめて刺激的な内容であった。
たとえば
「その点で承久の乱は、おそらく世界史における
ただ一つの文化史的な反乱ではなかったろうか」
といった決めの言葉は鋭く本質をついている。
https://www.amazon.co.jp/dp/4480095322
しかし本格的な伝記ではないこともあり、
次には歴史家の手になる伝記が期待されていたところ、
著されたのが
目崎徳衛『史伝後鳥羽院』
吉川弘文館2001年
である。
https://www.amazon.co.jp/dp/4642083766
雑誌『短歌』に連載されていたものを集めたもので、
上梓を前にして著者が亡くなられたため遺稿集になってしまったのだが、
歴史家の伝記らしく、若年期から晩年までの生涯の動きを丹念に、
そして端正に追っている。
後鳥羽院にかかわる歴史上の諸問題やそれまでの研究を
きちんと踏まえており、歴史家による正面からの伝記が
ほとんどないなか、今後のよるべき研究といえよう。
そうしたなかで私が後鳥羽天皇の伝記を著そうと思ったのは、
この時代の歴史研究を進めるなかで、
後鳥羽院の存在をさらにきちんと位置づける作業が
どうしても必要だと感じたからである。
東国に幕府が生まれるなかでそれに対峙し、
『新古今集』 という文化事業を成し遂げ、
やがては討幕へと走ったこの上皇をどうとらえたらよいのか、
その真相に迫りたいとおもったのである。」
p.8「はじめに」
目崎徳衛先生(1921.2-2000.6)は、
私が聖心女子大学図書館に勤務していた頃(1978-87)、
歴史社会学科の教授でした。
家永教科書裁判の文部省教科書調査官副主査。
俳人。
https://ja.wikipedia.org/wiki/目崎徳衛
私のような日本史についても古典文学についてもまったく無知な
若年者相手でも、酒席でご一緒すると、親切に分かりやすく、
色々教えてくださいました。
残念ながら、その内容はもう思い出せませんけど。
若い学生を相手に毎日教えている職業柄、
当たり前のことだったのかもしれませんが。
https://ja.wikipedia.org/wiki/九条兼実
「[藤原] 兼実は [源] 通親を嫌っており、
文治三年(1187)正月28日に通親が従二位の拝賀で
兼実邸にやってきた時にも、職事(しきじ)一人に会わせ、
自らは他行と称して会っていない。
文治四年に兼実の二男の良経が正二位に昇って通親を超えると、
通親がこれに抗議して所職を辞退して正二位になることを求めたので、
兼実は激怒している。」p.27
「文治四年(1188)正月1日に小朝拝に臨んだところ、
天皇の古い衣装が鼠に食われていたという報告があり、
内裏では何かと行き届かない状況だったので、
子の内大臣良通、三位中将良経を内裏によく連れてゆき、
公事や行事のあり方を指南している。
ところが文治四年二月十九日に期待していた家督の
良通が突然に亡くなってしまった。
前日に良通夫妻が訪れた時には、この二三日は体調が悪かったものの
回復したというので、評定について話をして寝入っていたところ、
良通に仕える帥女房が慌ててやってきて、
良通の息が絶えている、と伝えてきたのである。
それからの兼実の嘆きの様は尋常ではない。
二月二十日から五月九日までは、日記(『玉葉』)も書けないほどで、
思い出しては記しているのだが、誤謬はきっと多いだろう、と述べ、
良通への思いを綿々と綴り、
「今は一生の希望が絶え、ひとへに九品の托生を期さん」 と、
出家したいとまで思ったという。
良通を家督に立て、摂関の継承を考え、
それが順調にきていただけに、嘆きは大きかったのである。」p.37
その後、次男良経(1169-1206 新古今和歌集仮名序・巻頭歌作者)も
早逝してしまいます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/五味文彦
読書メーター
五味文彦の本棚
登録冊数10冊 刊行年月順
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091313
後鳥羽院の本棚
登録冊数17冊
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091275
和歌の本棚
登録冊数58冊
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091215
https://note.com/fe1955/n/nce8e9a0c3675
後鳥羽院(1180.8.6-1239.3.28)
『新日本古典文学大系 11
新古今和歌集』
田中裕・赤瀬信吾校注
岩波書店 1992.1
丸谷才一
『後鳥羽院 第二版』
筑摩書房 2004.9
『後鳥羽院 第二版』
ちくま学芸文庫 2013.3
https://note.com/fe1955/n/n3c66be4eafe5
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『日本詩人選 10 後鳥羽院』筑摩書房 1973.6
https://note.com/fe1955/n/n56fdad7f55bb
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『樹液そして果実』集英社 2011.7
『後鳥羽院 第二版』筑摩書房 2004.9
『恋と女の日本文学』講談社 1996.8
https://note.com/fe1955/n/na3ae02ec7a01
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
「昭和が発見したもの」
『一千年目の源氏物語(シリーズ古典再生)』伊井春樹編 思文閣出版 2008.6
「むらさきの色こき時」
『樹液そして果実』集英社 2011.7
https://note.com/fe1955/n/n49dc2860af81
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『梨のつぶて 文芸評論集』晶文社 1966.10
https://note.com/fe1955/n/n8dfcbf3d6859
田渕句美子(1957- )
『新古今集
後鳥羽院と定家の時代
角川選書』
角川学芸出版 2010.12
『異端の皇女と女房歌人
式子内親王たちの新古今集』
KADOKAWA(角川学芸出版) 2014.2
平井啓子(1947- )
『式子内親王
コレクション日本歌人選 010』
笠間書院 2011.4
場あき子(1928.1.28- )
『式子内親王
ちくま学芸文庫』筑摩書房 1992.8
https://note.com/fe1955/n/n47955a3b0698
後鳥羽院宮内卿(ごとばのいんくないきょう 生没年不詳)
『新日本古典文学大系 11
新古今和歌集』
田中裕・赤瀬信吾校注
岩波書店 1992.1
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?