うえやまとち(1954.2.22- )『クッキングパパ 42 モーニングKC』講談社 1995年10月刊 Thelonious Monk (1917.10.10-1982.2.17)"'Round Midnight" (1957.4.5) 日記 2017年12月23日 夕立の雲もとまらぬ夏の日のかたぶく山にひぐらしの声 式子内親王 新古今和歌集 巻第三 夏歌 268 田渕句美子(1957- )『異端の皇女と女房歌人 式子内親王たちの新古今集』角川学芸出版 KADOKAWA 2014.2
日記
2017年12月23日
午前1時30分起床
室温9.4度 湿度53%
Thelonious Monk (1917.10.10-1982.2.17)
"'Round Midnight" (1957.4.5) 22:00
https://www.youtube.com/watch?v=RZACUDjryok
Thelonious Himself (1957)
https://www.amazon.co.jp/dp/B000000YEF
https://en.wikipedia.org/wiki/Thelonious_Himself
https://en.wikipedia.org/wiki/Thelonious_Monk
https://ja.wikipedia.org/wiki/セロニアス・モンク
村上春樹(1949.1.12- )編訳
『セロニアス・モンクのいた風景』
新潮社 2014.10
https://www.amazon.co.jp/dp/410506312X
「頑固で優しく、偏屈だけど正しい――
モンクの音楽は、いつも大きな謎だった。
演奏も振る舞いも「独特」そのもの。
しかし、じっくり耳を傾ければ
その音楽は聴く者の心を強く励まし、
深く静かに説得してくれる」
1955年1月生まれな私は、
都立北多摩高校(2013年3月末閉校 現在は
東京都立立川国際中等教育学校・中高一貫制共学校)
に自転車通学していた頃(1970-72)、
ジャック・ルーシェ
「プレイ・バッハ」
からジャズピアノを聴き始めて、
すぐにビル・エヴァンスに夢中になり、
その次がモンクでした。
今でもモンクが一番好きです。
Jacques Loussier
Toccata and Fugue in D minor, BWV 565
https://www.youtube.com/watch?v=tO9ZR9cnw3s
Bill Evans (1929-1980)
"Waltz for Debby" (1965.3.19 BBC TV) モノクロ動画 4:29
https://www.youtube.com/watch?v=dH3GSrCmzC8
「プレイ・バッハ」からジャズを聴き始めたのは、
小学生の頃にラジオで聴いていたヒット曲
ウォーカー・ブラザーズ
The Walker Brothers
「孤独の太陽」
In My Room (1966)
https://www.youtube.com/watch?v=X5lBOAiSKZg
の影響かなぁ?
https://note.com/fe1955/n/n469d529eae54
https://note.com/fe1955/n/n4ebfb7be74fc
夕立の雲もとまらぬ夏の日のかたぶく山にひぐらしの声
式子内親王
百首歌の中に
新古今和歌集 巻第三 夏歌 268
「夕立を降らした雲もすでに過ぎ去った大空に輝く夏の日がようやく傾く晩夏の山に鳴き始めた日ぐらしの声。」
『新日本古典文学大系 11』岩波書店 1992.1 p.92
雲もとまらぬ 「も」は日の傾く頃、雲もまた空にとまらぬ意。
上二句は「夏の日」にかかる。
夏の日のかたぶく 日の入りと夏の終りをかける。
ひぐらし 「茅蜩、和名日久良之、小青蝉也」
(和名抄十九[和名類聚抄 わみょうるいじゅしょう
平安時代中期に作られた辞書
源順(みなもとのしたごう)が編纂])。
晩夏から初秋にかけて夕暮カナカナと鳴く。
暮れにくい夏の夕方の慌しい事象の推移を捉える。
参考
「ひぐらしの鳴きつるなへに日は暮れぬと思ふは山の陰にぞありける」
(古今 秋上 読人しらず)は山陰で、これは山の遠望。
「夕立」の歌。
式子内親王
(しょくしないしんのう 「しきし」とも「のりこ」とも読まれる
1149-1201)
後白河天皇皇女
賀茂斎院(1159-1169)
千載集初出(入集九首、女性歌人で最多)。
新古今四十九首。勅撰入集百五十七首。
隠岐での後鳥羽院による『時代不同歌合』では斎宮女御と番えられている。
小倉百人一首 89 「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする」
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/syokusi.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/式子内親王
田渕句美子(1957- )
『異端の皇女と女房歌人
式子内親王たちの新古今集(角川選書)』
角川学芸出版 KADOKAWA 2014.2
https://note.com/fe1955/n/n8dfcbf3d6859
https://www.amazon.co.jp/dp/404703536X
「式子[1149-1201]は、
新古今歌人の一人として現在は有名だが、
正治二年(1200)七月~九月の
『正治初度百首』以前は、ただの一度も
宮廷や摂関家の歌合・和歌会に出ていない。
しかし『千載集』成立以前から、
いくつもの私的な百首を詠んでおり、
最晩年にはじめて公的な応制百首
『正治初度百首』に詠進したのである。」
p.63
「式子が私的に詠んだこれらのいくつもの百首歌は、
俊成、定家、良経、家隆ら、当時新風和歌を推進していた
歌人たちに伝わり、写され、読まれていた。
式子の百首歌や詠草が写されて流布しなければ、
定家らの和歌との表現的な交錯・影響関係は、
生じるはずもない。そして逆に、
式子もまた彼らの歌合・和歌会での詠草を入手し、
常に最新の動向に目を凝らし、
その歌を味読していたにちがいない。」
p.64
「内親王というもっとも高貴な女性が、
歌壇の長老とはいえ臣下である人[俊成]から
直接に教えを受けて、自身の歌学の知識を蓄え
詠歌を磨くこと、歌壇で行われた歌合・和歌会の
詠草はすぐに取り寄せ、最新の情報を収集して熟読し、
日々題詠の詠歌に精進すること、
長年にわたって自ら積極的にいくつもの百首歌を詠むこと、
その百首を世に公表し、男性廷臣である専門的歌人たちと
積極的に和歌の上で対話し影響を与え合うこと、
さらには上皇[後鳥羽院]の召しに応じて
宮廷の応制百首に詠進すること、
これらはみな式子内親王に始まったことであり、
その後も鎌倉期においてこうした内親王は
極めて稀である。こうした詠歌姿勢が、
当時において、内親王としてはどれほど
異質な革新的なできごとであったか、想像に難くない。」
p.68
「正治二年(1200)七月~九月、
後鳥羽院は初度の応制百首である
『正治初度百首』(『院初度百首』)を計画し、
そこに
惟明親王
[これあきしんのう 1179-1221
高倉天皇の第三皇子、後鳥羽院の異母兄]、
守覚法親王
[しゅかくほっしんのう 1150-1202
後白河天皇二男、式子内親王の同母弟]、
式子内親王の三人を入れて詠進を求めた。
従来は天皇が臣下に命じて詠進させるものであった応制百首に、
皇族三人を、加えて
左大臣良経、内大臣[源]通親、前大僧正慈円を入れたのである。
この時点で既に後鳥羽院が、天皇家や現在の大臣、前天台座主を含む
すべての人を歌壇に吸収・包含しようとした意図が認められる。
後鳥羽院が『正治初度百首』で自らの初めての百首を詠んだとき、
式子の歌、それも『千載集』にない式子の百首歌からも
学んだことは明らかである。後鳥羽院が式子を招きよせた時、
既に式子の百首歌を味読していたのであろう。
内親王を応制百首に招くことは、後鳥羽院の決定であったに違いない。
後鳥羽院がいなければ、式子の秀歌の頂点と言うべき
『正治初度百首』は生まれなかった。… この時、
後鳥羽院は二十一歳、
式子内親王は五十二歳。
若き帝王の眼と意志には、実に驚くほかはない。」
p.97
第二章
「式子内親王
後鳥羽院が敬愛した皇女
三 『新古今和歌集』の光輝
稀代の皇女歌人として」
「『正治初度百首』は、
式子内親王のいくつもの百首の中で最後の、
そして最も完成度の高い百首である。
式子の百首は、勅撰集などにおける入集数を見ると、
現存する第一と第二の二つの百首が特に重視された様子はなく、
散佚した百首と特に変わらないような扱いである。しかしこの
『正治初度百首』は最も重んじられ、高く評価された。
『正治初度百首』の式子歌から
『新古今集』に二十五首が採られており、本百首から
『新古今集』への入集数は、すべての歌人の中で
式子内親王が最多である。ついで
良経が十七首、
家隆と讃岐が六首。
『正治初度百首』によって後鳥羽院に認められた
定家でさえ三首である。
式子にはこのあとの作品がないということもあるが、
それにしても突出して多い。そして
『正治初度百首』をはじめとする式子の歌は、
同時代の新古今歌人たちから深い敬愛と傾倒を受け、
多くの影響作を生んだのである。」
p.100
https://note.com/fe1955/n/n8dfcbf3d6859
https://www.amazon.co.jp/dp/404703536X
https://note.com/fe1955/n/n8dfcbf3d6859
2013年の立春、
2月4日から毎日一首づつ読み始めた
新古今和歌集の通読(つぶやき)が
四年かかって終わりました。
https://bookmeter.com/mutters/153744722
全二十巻
春夏秋冬賀哀傷離別羈旅恋雑神祇釈教
1995首
明日から再読
2017.3.26
うえやまとち(1954.2.22- )
『クッキングパパ 42
モーニングKC』
講談社 1995年10月刊
https://www.amazon.co.jp/dp/4063001520
「荒岩一味は金丸産業に勤めるごく普通のサラリーマンパパ。だけど、料理の腕はとびっきり!! 第42巻のクッキングメニュー……カナッペ/シメめし/サンマのシャレトローガ/スパゲティマツタケソース/ムサカ/栗まんじゅう/ブドウクッキング/シジミ漬け/トリレバーグ/塩味チャンコ」
https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000004095
『モーニング』
1994年40号~49号掲載
COOK.412-421
十篇
柳川市立図書館蔵書
COOK.412 な~~~んでもカナッペ
COOK.413 飲んだあとの“シメめし”いろいろ
COOK.414 サンマのシャレトローガ!!
COOK.415 スパゲティマツタケソースはいかが?
COOK.416 まさかのムサカ
COOK.417 秋を包んで栗まんじゅう
COOK.418 キミに贈りたいブドウクッキング
COOK.419 しみじみシジミ漬け
COOK.420 田中兄ちゃんのトリレバーグ
COOK.421 どすこい!! 塩味チャンコ
季節は9月から11月。
田中夢子さん懐妊、髪を短くしました。
田中クン
「予定は来春 私はパパになりまーーす!!」
工藤三平クンが
種ヶ島ちゃんの誕生日に
鰈の葡萄煮を作って届けます。
二人の仲は進展するのかなぁ?
博多で開催される
大相撲九州場所の季節なので、
今場所廃業29歳の大山君が
一味一家にちゃんこ鍋を作ってくれます。
大相撲九州場所には、一度だけ、
行ったことがあります。
新日本プロレス観戦でも行った、
福岡国際センターで、
横綱・千代の富士、
幕内・曙、若花田、貴花田
を観ました。
何年だったんだろう?
筑紫女学園大学・短期大学図書館
福岡県太宰府市
に転職した、
1987年4月以降、
うつ病で休職した
2004年11月までの間で、
曙他が平幕でしたから、
1990-91年かなぁ。
第42巻の料理は、
夢子の中高公同級生里山加奈が作る
クラッカー・大根・胡瓜・林檎にツナ・明太子・甘海老・
クリームチーズ・アボカド他を載せるカナッペ、
大根葉飯・若布飯・トマト飯、
プロバンス風秋刀魚オリーブ油焼き
トマト玉ねぎアンチョビ炒め掛け、
輸入松茸ソーススパゲティ、
マトンと茄子のムサカ、
栗甘露煮で栗饅頭(裏表紙)、
鰈バター焼きを白ワインとマスカットで煮込んだ葡萄煮、
夢子がシンディから習った香港風蜆漬け、
田中と工藤が作る鶏レバーハンバーグ、
昆布鰹節出汁を酒胡麻油胡椒で味付けした塩味ちゃんこ鍋、
です。
我が家では、
NIKKEI STYLE 2017.11.24
塩ショウガごま油鍋、体の芯から温まる 寒い日の夜に
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO23679670Q7A121C1000000/
をアレンジした塩味鍋を何度も食べてます。
読書メーター
2015年5月から読み始めた、
うえやまとちの本棚
登録冊数165冊
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091222
あと何冊読めるかなぁ?
『ッキングパパ 169』
講談社 2024年4月23日発売
https://www.amazon.co.jp/dp/4065353327
食べ物の本棚
登録冊数836冊
著者名五十音順
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091194
エッセイ、小説、マンガ、絵本など
https://note.com/fe1955/n/ne8ec120e5796
https://note.com/fe1955/n/nfd1220995a0d
https://note.com/fe1955/n/ne66125796874
https://note.com/fe1955/n/nb5bb99744b44
https://note.com/fe1955/n/nfea58f0cd9b3