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守護霊との対話(その27) 障害を持つ方、障がい者について聞く
守護霊と対話します。今回は、障がい者や、障害を持って生きる方は、生まれる前、魂の状態の時にそのことを計画してきたのか?などといったことについて聞きます。対話の内容がすべて正しいと保証はできませんので、注意してお読みください。
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(自分):守護霊さん、確かネット上のあるサイトには、「障がい者は過去世で悪いことをして、バチが当たって障がい者として生まれ、生きている」というようなことが書かれていました。一方、飯田史彦さんの本には、「障がい者は、自らの肉体や精神にあえて不自由を与えて生きるという、最高難易度の挑戦をする、レベルの高い魂であり、人間体験の卒業論文を書いているような、素晴らしい方たち」と書いてあります。一体どちらが正しいのでしょうか?人によるんでしょうか?
(守護霊):ケースバイケースだ。確かに、過去世で例えば人の足を切断するような暴力を与えた人が、次の人生では足がない人として生き、カルマを解消するためにそうすることがある。また別のケースでは、負のカルマがなくても、自分の魂をより成長させるために、わざと例えば目が不自由な人として生きる人もいる。いずれにせよ、自分の肉体や精神に不自由を与えることで、自らの成長を加速させようとしている。
(自分):なぜ肉体や精神に不自由があると、成長が加速するんですか?
(守護霊):簡単に言えば、「忍耐」が必要だからだ。目が見えない人は、さまざまな不便さを感じ、人によっては大きなストレスとなる。そのストレスに耐え、忍耐力が育つからこそ、鋼のような強靭な精神力を得ることができるのだ。
(自分):そうですか。僕は強迫神経症、確認症ですが、確かに忍耐が必要です。僕も「障がい者」なんですかね?
(守護霊):それは解釈の問題だ。あなたが自分を「障がい者」として見ることもできるし、「健常者」として見ることもできる。明確な線引きがあるわけではない。
(自分):先ほども書きましたが、飯田史彦さんの、「障がい者は最高難易度の試練に挑戦している」「障がい者は人間体験の卒業論文を書いているようなもの」という主張は正しいケースもあるのですか?また、「障がい者として生きる」という経験をしないと、人間体験を卒業することはできないんですか?
(守護霊):まず、飯田さんの考えについてだが、もちろん彼の主張が当てはまる、正しいと言えるケースもある。だがそれは、全てに当てはまるわけではない。「障がい者として生きる経験をしないと人間体験を卒業できない」というわけではなく、一度も障がい者にならずに、人間体験を卒業し、守護霊や指導霊、神になる魂もいる。人間としてどんな体験をするかは、生まれる前、自分で計画でき、選択できる。
(自分):そうですか。じゃあやっぱり僕も、生まれる前、「今度の人生は強迫神経症になって、忍耐力をつけよう」と考えて計画して生まれてきたんですかね?
(守護霊):そうだ。
(自分):周りの方は障がいのある方に、どのように接していけばいいんでしょうか?
(守護霊):まず、彼ら、障がい者が助けを求めていない時は、手助けせず、放っておく、任せることが大事だ。助けを求めていないのに手助けすると、その障がい者の自立心、自分の力でなんとかする、という力が身につかない。だから、助けを求めている時だけ、手助けすることが大事だ。
また、決して障がい者を馬鹿にして笑ったり、傷つけたりしてはならない。そんなことをすると彼らは傷つき、最悪の場合、自殺してしまう人もいる。それに、障がい者を馬鹿にすると、与えたものが返ってくる法則により、今度は自分が障がい者になり、馬鹿にされるという経験をすることになる。
(自分):そうですか。僕も中学生の時に、足が不自由な人の歩き方を馬鹿にして真似した人を見て、笑ってしまいました。今は反省しています。
最後に言いたいこと、補足しておきたいことはありますか?
(守護霊):障がい者も一人の人間だ。彼らにも尊厳があり、健常者と同じような権利がある。どんな人も平等に、幸せに暮らせる社会になるように、私は願っている。以上だ。
(自分):そうですね。今回もいろいろ教えてくれて、ありがとうございました。
(守護霊):ありがとう。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。