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ぼくの美しいひとだから


原題:White Palace 舞台は80年代のミズーリ州セントルイス、ホワイト・パレスというのは、主人公マックスと恋に落ちるノーラが働くハンバーガーショップの名前。

グレン・ザヴァンのベストセラー小説をスーザン・サランドンとジェームズ・スペイダーで映画化。1987年作品だから私5歳ですよ。親がビデオ持ってたので中学生の頃みました。パッケージも海外のエロい絵面(二人が絡んでるやつ)ではなく、ロマンティックなデザインだった。でも前半のベッドシーンは子どもながらビビったよね…

27歳のコピーライターと42歳のハンバーガーのウェイトレス。ふたりの出会いからなし崩し的に付き合い、別れ、再会するまでを描いた作品。身分違いの恋、なんてひとことでは片づけられないくらい、人生が詰まっている523ページ。

映画は小説にくらべてかなりストーリーを端折っており、安易なハッピーエンドに不満な方も多いだろうけど、映像化するならありかな?と思っている。マックスの亡き妻の母との確執や、広告代理店のトラブル、ノーラを虐待していた夫、死んだ息子、逃げるようにミズーリを去ったノーラと恋仲になるギリシャ料理の店主。ふたりを取り巻くファクターが多すぎて、全8話くらいのドラマになってしまう。個人的に一番好きなのは去ったノーラの面影をもとめてCF(コマーシャルフィルム)をつくる哀愁漂うマックスの回。



たまに恋愛で躓くとこの本を引っ張り出す。初めて原作を読んだのは25歳で映画を見てから10年が過ぎていた。もう20年近く、サヴァンに助けられている。昔つきあってたひとたちはアルコールも食も楽しめるくちだったけれど、どちらかというとお酒に飲まれがちで、ゆったりマイペースで杯を重ねる私にくらべつぶれるのがはやかった。そこまで飲ませるのは連れの問題だろう、という方もいるだろう。思い返せば、私の生き方、ペースにむりやりあわせてくれていた感が否めない。年齢も、生まれも、思考も、好きなものもとことん違う、相容れないお互いの輪郭をごまかすために酒に頼る。「ぼくの美しいひとだから」にはそんな表現がでてくるので、ふと他人事ではないな…と思ってしまった。しらふで一緒にいられない相手だと、どこかで思われていたなら、少し胸が痛む。


こちらの感想を読んで、長年ひっかかっていた骨がとれた。「マックスもノーラも寄る辺のない弱者と簡単に定義することはできない」

この小説が持つ複雑さは社会的立場とは何か、それはありのままの個性とどう違うのかと問いかけてくる。若く高学歴で裕福なマックスは強者なはず、中年で低学歴な貧しいノーラは弱者に違いないと思って読んでいると見誤る。またマックスを苦労知らずなブルジョワと考えたり、ノーラをいさましい聖女のように思うのも間違いだ。二人は強さと弱さをもつただの人間として、悩みながら愛を模索する。


誰かと一緒にいるということは、ふたりの溝を認めることで、どんなに橋をかけても川を埋めることはできない。後半、ノーラをニューヨークまで追っかけてきたマックスの"you belong to me"という尊大な態度が鼻についたけれど、これは彼の精一杯の歩み寄りで言葉の裏には"I belong to you"があるんだと気づいた。マックスとノーラの葛藤や、ベッドシーン描写が美しくて、「モンタナの風に抱かれて」に匹敵する作品だと勝手に思っている。肌に合う翻訳って素晴らしい。

悲しいことにサヴァンは2003年に49歳で亡くなっており、小説も絶版なんですが、どうにかして英語の原書も読んでみたい所存です。



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