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<感情の辞書>期待を裏切れられるのは相手のせいか?

こんにちは、心理カウンセラーの永畑です。

今日のテーマは「期待」

さてみなさん、何に「期待」しますか。


推しのチケット応募した!あたるかな?
神様、今度の昇進試験、受かっていますように!
私のこと、好きなのかな?

などなど
「自分の願いが叶えられることを、強く意識する」
ということが期待という感情ですよね。

この期待という感情、ワクワクする気持ちにもなりますが、ちょっと「厄介」でもあります。


どこが、厄介なのか。
それは「裏切られた」と感じるとき。

ちょっとドキッとする、怖い表現かもしれませんが、

当てが外れた
期待していたのと違った
思ったよりよくなかった
などなど、、、

失望、落胆、期待外れ、ともすると挫折かもしれません。
あまり見たくない感情ですよね。


こんなとき「期待を裏切られた」という表現で
「相手を」「周りを」責めたりします。
自分以外の周りのせい、にしてしまう場合があるのです。


推しのチケット応募した!あたるかな?
→なんで、チケットの数がこんなに少ないのよ!
ハコが小さいのよ、もっと大きな場所でやってよ!

神様、今度の昇進試験、受かっていますように!
→試験の問題がよくなかったんだよ!
あの面接官、本当に時分の事ちゃんとみてたのかな!?

私のこと、好きなのかな?
→思わせぶりな態度とらないでよ!
きっといい加減な人なんだわ!

という怒りのようなエネルギーが出てくるときがあります。
そしてそのあとに

「ああ、こんなこと思う自分、小さいな」
「ああ、人のせいにしてる、情けないな」
「ああ、自分の力がないだけなんだ」
と落ち込んだり、自分を責めたりしていく。

それが「期待」なのです。

じゃあ、期待なんか持たない方がいいと感じるかもしれません。

でも、結果が期待通りということもありますよね。
だからこそ、私たちは可能性にかけて期待をする。
「信じる」とちょっと似ています。


期待通りの結果になった時は、「感動」したり「親愛」であったり「肯定感」であったり何とも言えない喜びの体験に結びつきます。


さてここで問題なのは、
「期待に添わなかったときの感情をどうしたらいいのか」

ちょっと考えてみましょう。
そもそも、期待というのは「2種類」あります。

①自分がコントロールできることのなかで、好結果を望むもの
②自分がコントロールできないことの、成就を望むもの


①は、努力したら願いに近づくもの、例えば試験やダイエット、などです。
そして②は、人の気持ちやくじなどの、努力しても必ずしも成就に結びつかないもの。

①の場合は、努力する
②の場合は、期待しつつ放っておく
ということで期待値をコントロールできるのですが、
①の努力しても実らないとき
②の願いにものすごく執着しているとき
に苦しみが生まれます。


そんなとき
①の場合は、「高望み」していたことを自覚していくことで冷静になっていきます。

例えば極論ですが、
英語を習いたての小学生が、英検の1級はたぶん受からないですよね。
今日、ダイエットを始めた人が、明日5キロも体重が減っていることはあり得ないですよね。

①の場合は「自分のポテンシャル」をできるだけ正確に見積もることで、苦しみの感情を味わうということを防げるかもしれません。
(あらかじめ、自分に見合わない計画だとわかっていれば、あまり期待せずにすみます)

②の場合はちょっと複雑です。
運に身を任せるような場合、合理的な人は放っておけるのですが、それが一番いいとは言えません。
期待するということを、一概には否定できない状況の人もいるということです。

例えば

推しのチケット応募した!あたるかな?
という場合。

もしかすると「期待」のもっと奥底の感情には

「推しがなくなったら、私の生活、また色のない生活に逆戻りか」
「今度のライブに行けなかったら、ファングループでの居場所なくなるかも」
「みんな行けていいなあといううらやましい感情に押しつぶされそう」

という感情があるかもしれません。

私のこと、好きなのかな?
という場合。

「私、このまま誰ともお付き合いできなかったらどうしよう、怖い」
「今度のクリスマス、また一人なのかな。寂しくて辛すぎる」
「私、誰からも好かれない、魅力ない人間なのかな、悲しい」

という感情があるかもしれません。

どちらも「見たくない」「受け入れがたい」感情で
「感じてしまったら、立ち上がれないかも」というくらい怖い感情でもあります。


つまり、不安や怯えというマイナスの感情から自分の心を「守る」ために、「期待」という感情を感じていることで自分を保っているかもしれないのです。

これを「防衛機制」と言います。
立派な「心の作用」なのです。


ちなみに健全な心の状態のときは
①で期待とは異なる結果となった時
「よし、また頑張ろう」
「よし、自分のここが足りなかった」
と原因を「内側(自分)」に帰属させます。

②のときは
「まあ、そうだよね。また次がある」
「まあ、そうだよね。あの人側の理由だもんね」
と原因を「外側(相手)」に帰属させます。

ということなので、
①の場合で「人のせい」にしているとき
②の場合で「自分のせい」にしているとき
が苦しいという結果になりやすいのです。

この二種類の違いを知っておくと
なんでもかんでも「相手のせい」「自分のせい」
にすることがなくなって、
マイナスの感情から抜けやすくなっていきます。


今日はちょっと、思うままに書いたので理屈っぽくなりましたが、またもう少し例も取り入れてわかりやすく解説ができたらと思います。(次回以降に)


もし今日のお話で、少しでも何か、気づきがあれば、お心置きいただけたらと思います。
あなたの生活が、生きやすくなりますように。


また<感情の辞書>では、みなさんの相談も受け付けています。
こんなことがあって、この感情が抜けられない
という場合は、コメントくださいね。

記事でお返事していきますね。


心と体を健やかに整える、ユキラボ 代表 永畑由記



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