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自己開示の2歩目は「感じる」

こんにちは、カウンセラーの永畑です。


前回、「どうやったら伝える、という行為を上手に使って、よりよい関係性を築くか」のはじめの一歩、

◆伝える前に、「プロローグ」が必要であること

についてお話させていただきました。
伝える、自己開示はコミュニケーションの基本ですが、
今日は二つ目のステップ
◆伝える前に、「感じる」が必要であること
についてです。
(1つ目のステップは前の記事をご覧ください)

端的に申しますと、「自分がどんな感情を感じているか」ということを、わかっているかどうか。もしくは、素直に受け止めているかどうか、ということです。

この「感情理解」がくせ者なんです。

私たちは、いつだって感情を感じていると思っています。

コンビニの店員さんが印象がよくて、ホッとした、嬉しいな。
上司にきつく言われた、私って迷惑がられてるのかな、なんか怖い。
あの人、もっとしっかりやってくれないかしら、イライラする。
片思いの彼とあの同期の女の子、仲いいんだ。しょんぼり。

などなど、四六時中、何かしらの感情を感じているように思えます。


確かに、私たちは何かの刺激に対して目まぐるしく反応し、感情が動かされています。人間関係があれば、そこに感情あり、なのです。
(バーチャルでもSNS上でも、リアルでも)


だから我々は、自分の感情については「感じられている」「知っている」と思っています。でもこれが、思い込み、だとしたらどうでしょうか。


感情を理解する、もしくは捕まえるということは、ちょっと難しい場合があります。いったいどういうことでしょうか?



心理学の世界では「防衛機制」という言葉があります。


これは、欲求やストレスにうまく対応できないときに、自分を守るために出てくる心理作用のことです。

例えば
上司にきつく言われた、私って迷惑がられてるのかな、なんか怖い
を例にあげてみましょう。


この感情を感じた後、もしあなたならどういう行動をとるでしょうか。


「迷惑がられてるなんてそんなことない。こんなことくらいで落ち込んでたらダメ。人を恨むとか怖いとかいうのもよくないわ。きっと上司の立場もあるはず。さあ、次は挽回しよう。このくらい平気!」
折り合いをつけようとしたとします。

つまり、きつく言われて「ショック」、認められなくて「悲しい」という気持ちを「平気なふり」をすることで感じなくするのです。


これを、防衛機制の中の「隔離」と言います。


隔離とは、受け入れがたい現実を直視せず、逃避して一人になったり、ふて寝をして睡眠に逃げたり、上記のように平気なふりをしたりして、ストレスを避けるという方法です。(私もよく、ふて寝します…)

ちょっとした事ならいいのですが、上司という日常ずっと一緒にいる人の場合、こういったことが何度も続くと苦しくなります。


どんどん感情が麻痺して、最初に感じた「ショックや悲しみ」という感情を感じなくなるかもしれません。

ともすると「上司は私に期待しているからだわ」とポジティブにとらえすぎて、「こんなに言ってもらえる自分はすごい」「これだけ言われても凹まない私、ポジティブで器が大きいんだわ」という風に、感情をかんちがいしていってしまいます。

そしてこれが閾値を超えると、
うつ病になって「突然うごけなくなる」、上記のように「感情を感じなくなる」、いつもはそんなことないのに、突然癇癪を起こすなど「突然こどもじみたことをやってしまう」(退行現象)、「受動的攻撃行動」(後日くわしくかきます)に無意識に出てしまう、、、などのような現象としてでてきてしまいます。


話しを元に戻すと、私たちは自分の傷ついた感情を正面から感じたくなくて、ごまかすなどの「防衛」をしているので、本当の感情が感じにくい生き物、という側面を持つということです。

案外、自分の感情をみつめてみると、わからないものです。


そして、この感情がわからないと、「本音」を伝える、そして自分のことを話すという「自己開示」が苦手になっていきます。


実は、私もそうでした。

私は小さい頃、体を動かすのが大好きで活発な女の子でした。運動神経もよかったと思います。あるとき、2歳年上の兄が、小学校で「さかあがり」を授業で習ってきました。兄はまだ練習中で出来ません。それを見ていた私は、「おもしろそう」と思って鉄棒にしがみつきます。地面をけって足をあげると、「くるっ」と世界が回ったのです。

「兄より先に、できた」

この状況を見た母親が「お兄ちゃんよりできるということはいけない。お兄ちゃんの前ではさかあがりしてはいけないのよ。やめときなさい」とすかさず言ったのです。

これ以降、私は「できる」ということをひた隠しにする人生になりました。話せる、読める、ということもです。できる喜びを表現してはいけないというルールが出来上がった瞬間です。それは、できない人が悲しむから。

当の本人はどう思っていたかわかりませんが、母親がきっと「できないこと」でコンプレックスを持っていたのでしょう。だから、できない人(兄)を見るといたたまれなかったのだと、今ならわかります。

ですが、その時の「喜び」の感情は、すぐに抑えられて「しまった」という自罰に隠されてしまいました。

こういったエピソードなんて、日常の中にごろごろ転がっています。だから私たちは、いくつもの感情を隠すベールを何枚も持っていて、気づかずにそのカーテンを引いてしまっているのです。そのカーテンを開けることは、普段から感情を感じるように意識して、やっと開けることができて、その向こう側の景色(本当の感情)浮かび上がってくるということです。

他にも防衛機制のカーテンはいっぱいあります。今日は「逃避」などの話でしたが、またどこかで他の防衛機制の話もしたいと思います。

自己開示って、奥が深い。
でも、みんなができることで、やってみると簡単で、そして人間関係も楽になりますから、まずは、自分の感情に気づくところからやってみて下さいね。


たまには、大声で泣いたり(1人で)、ぷんぷんと怒ったり(1人で)するといいですね。


もし、感情に気づけない、助けてほしい、なぜかいつもつらい、上手くいかないという人は、ご相談ください。そっと、カーテンを開けていくお手伝いをさせて頂きますね。


心と体を健やかに整える、ユキラボ 代表 永畑由記


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