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人のフリ見て我がフリ直したら最高の人生がやってきた話

たまには仕事の話。


前の上司は、私が今のデスクに配属された時に同じチームだった先輩で、上司と部下の関係になるまで15年程の付き合いがあった。

かつては経験者ばかりで成り立っていた我がチームも、会社の都合で分散し、たった一人残された私が 契約上戻ってきたのと同じ状況の先輩と新たな上下関係を築くころには、全員が新人という地獄に陥った。

これまで各種カリスマが、自分の脳みその中だけに入っている知識を基に仕事を回していたばっかりに
全員が急にいなくなって、まともなマニュアルも残されていなくて
入ってくる新人は、人間的に問題児か、心が折れて辞めるというより消えていくか、まともな人はすぐに腹をくくって辞めちゃう。

毎度毎度教育をする側の私も次第に許容量を超えてしまい、心にも体にもどんどん負担がかかっていくのを実感しながら過ごす日々だった。


ちょうど当時はまだ
年老いて視力も失い、身体中にガンを抱えて毎日血まみれになった愛犬の介護と、本当か嘘かわからないレベルの痴呆が少し始まった半身不随の祖母を引き取って一緒に暮らしていたので

仕事でどんなに疲れていても
家に帰ったって安心して休める状況ではなくて
毎晩ばあちゃんがトイレに目覚めた時の襖が開く音や、痛みに耐えかねた愛犬の遠吠えで夜中に何度も起きていたので、疲労は蓄積する一方であった。


母は持ち前の責任感と使命感で、どんなに折り合いが悪くても決して祖母を施設に入れようとはしなかったし

そんな母が当時、掃除の仕事で夜の21時頃に出動していたのと入れ替わりで唯一嫁に出ていなかった私が家にいなきゃいけなかったので
どんなに仕事が残っていても、全てを放り出して交代時間には退社しなければならないのも、大きなストレスだった。



教育がうまくいかないことも
仕事がまともに回せないことも
仲間の協力を一切得られないことも

当時上司だった先輩に逐一報告していたが

「みんな大変なんだから」
「自分だけが頑張ってるわけじゃない」
「俺だって辛い」

と言われて、聞く耳を持ってもらえなかったけど


会社の帰りに自転車もろとも川に落ちてやろうかと発作のように考えたり、心の不調が身体に蔓延して健康診断で絶望的に引っかかったり、無意識に空気を飲み込みまくって苦しくてご飯が食べられなくなったり、血の混じった胃液を吐いたり胃カメラを飲んだりした。

このままじゃきっと私は死んでしまうだろうな、と思って

意を決して提出した退職願も、2回捨てられた。


当時の上司を、私はずっと慕っていたし
付き合いが長いだけに、人には話さなかったプライベートなこともいろいろ話していたし、

先輩がそのまま上司になったからこそ、やりやすかった部分も最初は大いにあった。


上司と部下の関係性になった時に、言いたいことが言い合える間柄であったことが【マイナスだけに作用した】という表現が一番シックリくる感じ。




当時の上司は、出張中に父方の祖母が亡くなったことを理由に、一日でも早く帰りたいという要望に対して

「一緒に住んでたのは母方でしょ?離れて暮らしてるばあちゃんなんてそんなもんじゃないの」 と言って許してくれなかった。


親しき仲にも礼儀あり、いくら冗談が言い合える間柄でも許されない冗談はある。

私が父方のばあちゃんと暮らせなかったのは、母方のばあちゃんと暮らしていたからで、両親が離婚している以上必要以上に手が出せなかっただけで

一緒にいたくてもいられなかったばあちゃんかどうかまで、説明しないと伝わらないならもういいや って、諦めた。


たった一日早く帰れたところで、生きているばあちゃんには会えなかったし、単なる気持ちの問題だったけど

ばあちゃんに一日でも早く会いに行くことを諦めた、というよりは

上司に、人としての思いやりを求めることを 諦めた。


長い付き合いとか 親しい間柄とか そんなのは単なるこれまでの思い出であって、上司と部下である以上、人間として軽蔑の目で見てしまうようになってしまった以上、それ以上私が心を開くことはなかったし、こじれてしまった関係性も 修復しようとも思わなかった。

何度も退職を考えた仕事だったけど
業務の内容にそれなりにやりがいを感じていたことと
一緒に働くチームのメンバーが、ちょうど総入れ替え状態になって、普通にコミュニケーションが取れたり、協力し合えたりする仲間ができたおかげで、乗り越えられたと思う。

今でもその時に助けてくれたメンバーが、大して入れ替わることもなく残ってくれていて

各自が成長して、仕事も落ち着いて、信じられないぐらい残業時間の少ない毎日を過ごせるようになった。




そして今年の4月、人として軽蔑しかかった上司が異動になり、当時主任だった九州男児が長を治めることになったわけであるが

まず
SOSに聞く耳を持ってくれる
意見を真っ向から否定しない
自発的には以下社員の業務の様子を伺いに来てくれる

という、普通に考えたら当たり前かもしれないことをやってのける新上司に、我々は感動した。


今まで当然のように
SOSはワガママだといわれてその場で葬られ
運用の提案だって理由や背景も聞かずに拒否されて
我々が普段何をしてるか把握もしてくれない という現実が日常だった私にとって

「気にかけてくれること」がこんなにありがたいことなのか、と実感している。



今月中旬から予定している離島への出張も
どうやら昨日「明日から来てくれないか」と現地から打診があったそうで

新上司から「さすがに今日の明日はねえよ、って断ったからね。」って報告があった。
業務上必要な作業はあるという理由だろうから、依頼は優先してあげて という意図も含まれての報告だけど

かつての上司なら「来いって言ってるけど行ける?」と私に聞いていたし
私も上から言われたことは、よっぽどの理由がない限り断らないし実際断らなかったので、たとえ前日だろうが飛んでいた。


それが今までは「当然」の運用だったけど

今回初めて、打診もせずに「当然だろ」と言って断ってくれた新上司の 配下社員に対する思いやりを受けて、心底感謝の気持ちが沸いた。




元上司のおかげで
私は絶対に、自分が味わった苦しみを仲間には味わってほしくない と思って奮闘してきたし

一番大切なのは仕事でも会社でもなくて、自分自身の心身を健康に保つことだとみんなにも伝えてきた。

多少穴が開こうが仕事のカバーは誰かができるけど
家族や大切な人のことを守れるのは自分だけだからね、と事あるごとに伝えてきた。

もちろん自分が率先してサポートができるようにも心掛けてきたし

時には暑苦しい女だなと思われることもあっただろうけど
ちゃんとみんなついてきてくれて
ちゃんと私が困ったときにもみんなが助けてくれて
いまだかつてない平和な仕事環境が作れたと思う。


人のフリ見て我がフリ直す じゃないけども
仲良しだったはずの先輩という存在を一人失った代わりに得られたものが、私にとっては大きすぎた。

だから結果感謝もできるし、自分の気を引き締めることもできる。



死ぬ気で働いた数年間と、地獄のような精神状態だった数年間と、何よりも家族の安心と安全を第一に過ごしてきた数年間が全部重なって

今思い返しても
よく生きてたな、と思う。



上司でも部下でも同僚でも
家族でも友達でも恋人でも

相手を思いやるという気持ちはとても大事で

結果がどうであれ、その気持ちと過程で救われるんだなってことを実感している今日この頃です。


私も常に、相手を思いやれるような人間でありたい。

かつ
実は私にとっては一番難しいけど
自分のこともちゃんと大切にできる、大人でありたい。

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