かっとばせ、葛藤。
なんだそれ!
既婚者というステータスが欲しいのか
結婚生活という未知の世界に興味があるのか
少しでも実家から離れたいだけなのか
恋人と今以上に長く一緒にいたいからなのか
その明確な理由が、欲しいのか
一緒に暮らしたい理由や結婚したい理由を自分に問いかけたり、頂いた大事な指輪を愛でたり失くしたり見つかったりしながら、生きることに必死という言葉が 今、とてもよく似合う日々の中
【仲良しな友達】に値する、友人2名から御懐妊報告があった。
全然無関係な二人ですが、共に妊娠7か月。
自らの女体がトラブル王国で、妊娠が大変厳しい状況である中でも、人様の結婚や妊娠の報告は変わらず嬉しかった。
私は菩薩かと思うぐらい、自分のことは棚に上げて、素直に喜べた。
どういう感覚してんのか自分でもよくわからないけど、「私の代わりにこの世界に命を産み落としてくれてありがとう」と 世の中のお母様たちに思っている。
正確に言うと、「今までは」そうだった。
もっと厳密に言うと
2人のうち1人目までは、そうだった。
よく考えると今もそうなのかもしれないんだけど(どっちだよ)ちょっとそこに素直じゃない感覚でのモヤモヤが発生した。
1人目は、昔バイトをしていた喫茶店でとても仲良くしていた ママさんのお孫ちゃん。私より15歳程年の離れた若い女子。
時代の進歩のおかげで、バイトを卒業してからもありとあらゆるSNSで繋がっていて、お互いの近況が手に取るようにわかるし、たまにDMでメッセージのやり取りなんかしちゃったりして いまだに仲良くしてくれている。
当時はまだ小学生だったその子に、去年女の子が生まれており、このたび2人目の御懐妊。
妹のように、娘のように可愛がっていたその子の結婚や出産は 家族のことのように嬉しかったし、このご時世の中、生まれてから1度だけ実際に会いに行った数少ない赤子。
1人目の妊娠は、お店に遊びに行った時に「まだ友達にもほとんど言ってないんだけど…」と言って コッソリ接客の最中に教えてくれた。
2人目の妊娠はSNSでの公表で知ったけど、1人目の時よりは劣るものの同じように素直に嬉しかった。
もう一人のご懐妊報告は、同級生の友人だった。
グループLINEでの報告で、年齢的にも高齢だし 安定期に入っても妊娠が継続できるのか不安でなかなか言い出せなかった という、謝罪も混じえた報告だった。
とても嬉しかったし、グループにいる他のメンバーには 子供のいるお母さんも、子供を持たない夫婦もいたけど、みんなが同じように喜んで祝福した。
一通りやり取りが終わった後
なんだか急に現実に引き戻されたような感覚があって
この仲間たちに今の自分の状況を伝えて相談に乗ってもらうことはできないな、と ふと思った。
話したくないわけではないし、心配かけたくないという気持ちは友人間において失礼にもなるかもしれないんだけど。
私は今、妊活の要否を期限付きで迫られていて
相手の人生を左右してしまうような決断ができなくて
罪悪感に押し潰されそうで毎日苦しい だなんて
幸せな雰囲気を壊したくなかったのと
気を使わせて、この先の報告が聞けなくなるのも嫌だったし、私がある程度決断を下して 前向きにそのことを伝えられるようになるまでは言わないでおこう、と本能的に思った。
御懐妊された当人を含めて、グループLINEのメンバーとは長らく会えていない子が多くて、かつては月一で集まってはお食事がてら近況報告をしていたものの、今はそんな機会がなくなってしまった。
文字で連絡を取り合うことはあっても、友人が妊娠していることも知らずに済んでしまった7か月。その間にできた、私の恋人の存在を知らない子もいた。
この流れに乗っかって報告しちゃうYO!という前置きの元、【去年出会った同い年の日本人男性と交際に発展しており、結婚を視野にいれて同棲を考えております】と、垂れ流した。
嬉しい部分だけを切り取った、良き報告。
LINEのグループは、予想通り幸せだけで溢れて沸き立って終わった。
「日本人男性」に対するツッコミはあったものの
タミオ君の存在を父親に報告した際、父が最初に投げかけた私への質問が『日本人?』だった事までは説明しなかった。
(日本人だよパパ!ていうかそこ?)
なぜなら私は、話を盛り上げたかったわけではない。
幸せな報告だけで終わらせたかっただけ。
これからもみんなの幸せな報告が聞けるように、みんなが言いやすいように、締め括りたかっただけ。
妊娠7か月になった友人は、その文字だけでもわかるぐらい幸せそうで
『頑張ったら望みは叶うんだな、って思えてすごく嬉しかったよ!』という言葉が、とても心に残った。
頑張ったんだね、きっと。とても。
私は愛する恋人タミオ君と 頑張る ことを諦めようとしていて、この幸せを感じられるチャンスを 奪おうとしている。
もちろん子供ができることだけが幸せではないことも
子供がいないからこそ感じられる幸せがあることも
頭では重々わかっているつもり
それでも
この年齢でも頑張れば子供を授かれる可能性があって
無事に安定期を迎えられるかもしれない という現実に触れて
親になれることを幸せだと心から思えて
『不安だけど、赤ちゃんを信じて頑張る!』と言い切れる友人を前に
なんだろうこの、悲しい気持ちは。
自分にできないことをやってのける友人が羨ましいとか悔しい、という気持ちとは違う
できるはずのことをやろうとしない自分が情けない という表現が近いかな。
頑張れば叶う望み なんて
実際はほんの一握りかもしれない。
タミオ君の正直な気持ちを聞けてない以上、勝手に私が罪悪感を抱えるのもなんだか違うとも思う。
本当に正直な気持ちなのかどうかを、私が勝手に疑っているだけで、タミオ君は私がいればいいと心底思ってくれているのかもしれないし。
私は 私の意思をちゃんと相手に伝えればいいだけで
その上で相手が出してくれた結論を 真っ向から受け止めればいいだけなのに。
友人が子供を授かって、幸せを感じていることはとても嬉しくて、生まれてくる子供や友人自身が健康で無事であることを祈る気持ちは変わらない。
私自身が、子供を持たない選択をしようと思っていることや、そのことをこれから急いで話し合わなきゃいけないという追い込まれた現実については、結局最後まで友人たちには言えず、言わず。
気持ちの整理ができないまま
【子供を持たない選択をしたい】と自分が思っていることを、タミオ君にも正式に伝えられずに、今に至る。
今日はタミオ君の仕事が休み。
毎度恒例の行事となった、休み前日の夜から来てくれてのお泊まり。
食事もお風呂も済ませてからやってきたタミオ君と、ただ寝るだけの夜。
少しだけ久々に 身体を重ねながら、頭の中では目の前のタミオ君を愛しく思う気持ちと、手放す愛情もあることと、離れたくない感情が混在していた。最近は常に脳みその中がそんな感じ。
せっかくお互いに愛情を心から伝え合える、溶け合うようなセクロスができているにもかかわらず、心が葛藤している。
そして葛藤すればするほど、愛おしさが増す。
眠りについたタミオ君や
夜中に目覚めたタミオ君に
何度となく話を吹っ掛けようと、頭にはよぎるものの、口が動かない。
夜はセンチメンタルだから、考えるのも伝えるのも やめたほうがいい。
タミオ君はお休みだし、また朝にしよう。
と、思ったのに 結局言えなかった。
私が仕事でタミオ君が休みの日は、私が用意をしている間に布団を上げたり洗い物をしたりしてくれるので、いつもよりうんと時間が余る。
出かけるまでにだいぶ時間の余裕はあったけど、やっぱり言い出せないまま時間が過ぎてしまった。
実際に結論を出すのは、今飲んでいる薬が切れる2か月後だって間に合う。
私が結論を出している以上、答えは決まっているも同然なのに、なぜこんなに伝えにくいんだろう。
答えを急かすわけじゃなく
自分の気持ちを伝えるだけでもいいから
話ができればいいな、と思っている。
また夕方、仕事が終わる頃に迎えに来てくれる予定のタミオ君と、今日は少し話せるかな。
気合い入れて帰ろう。
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