38歳ラストミッション
思えば私はずっと、男運が悪かった。
いや、もしかすると男運が悪かったのではなくて 私の「男を見る目」がなかったのかもしれない。
でもその言い方って、相手を卑下するような表現で好きではないんだけど、何が相応しいのかはちょっとわからないな。
初めて付き合った男の子は、幼馴染だった。
私のことを小学生のころからずっと好きだったと言ってくれた、下の階に住む同級生。
「付き合ってください」の言葉を交わしただけで
我々は凄く恥ずかしがり屋だったので
幼馴染なだけに、親同士が会うときに一緒に付いて行って遊んだり、そのタイミングで手紙を交換したりなどする(文通!ピュア!!)交際を続けていた。
家族絡みでどちらかの家に行ったり、トランプなんかで遊んだり、不意に手が触れちゃったりなんかしたら引っ込めてしまうようなお付き合い。
ちょうどその頃、ちょっと目立つ同級生たちが本格的に大人な付き合いを始めたりなんかして、「同じ 付き合ってる なのに、この違いはなんだ?」とボンヤリ思ったりしてたような気もする。今思えばだけど。
その後私は、1つ年上の先輩に一目惚れをぶちかまし、それを理由に交際を解除して頂いたという、もう自分の記憶が合っているのかどうかもわからない人生最初のお付き合いが中学2年の時。
彼は最近結婚したが、そんな報告を誰よりも早く個別にしてくれるというなかなか濃厚な付き合いがまだ続いている。
幼馴染っていいね。
コロナ禍に突入してからは自粛こそしているものの、いまだに私は彼のお父さんと二人で酒を交わすような仲だし、東京から帰った時には必ず顔を出してくれたり、我が愛する甥っ子にプレゼントを買ってくれたり
普通に、幼馴染に戻れた「元カレ」ってやつ。
元彼だなんて響きはなんか違うな、って思うぐらいの幼馴染。
ちゃんと「付き合ってください」「お別れしてください」をお互いの同意とともに交わし合ったことと
一線を越えてない超絶ピュアな付き合いだったからこそ成り立っているような気もしてる。実に貴重。
一戦どころかチュウもしていないし手も繋いでいない。握手ぐらいはしてたかもしれない。ピュア。
次に「付き合ってください」を交わしたのは、高校1年の時。
当時の彼は少しヤンチャで、初めて「原付の後ろ」に乗せてもらった人。
フレンチなキッスまでは施したもののそれ以上はなく。
「俺に御子はもったいない」という謎のフレーズで突然振られ、まだピュアが継続していた私はそれを鵜呑みにして受け入れた。
これも私の記憶が正しければ
当時3人で一緒によく遊んでいた、仲の良かった友達2人のうちの1人と浮気をしていた説を後々別ルートから聞かされた。
この友人とやらがこの後も出現する少々厄介なオナゴで、次の恋愛にも登場してくれます。
続いては二十歳の頃。あんまり覚えてないけど成人式前後だったから二十歳だと思う。コンパで出会った男子と仲良くなり、同じコンパに参戦していた例の厄介なオナゴともダブルデートをしたり、家族や友人に会わせたり、お互いの実家を行き来したり(今考えれば相手の家族に会ったことはないけど)ケガして入院なんかすりゃ毎日のようにお見舞いに行ったりしていた。
その人は私を「特別」だと言い、「好き」だとは言わなかった。
そんな彼とも結局、実は正式に彼女がいたということが発覚。
たまたま家に遊びに来ていた これまた家族ぐるみの幼馴染の妹が、彼の写真を見て「友達の彼氏だ」と言った。
後々、例の厄介なオナゴとも関係があったことが分かり
それを相談した友人に、ヤンチャな彼との浮気説もついでに垂れ流されるというダブルパンチを食らった。
当時実際の彼女とは直接対決を挑まれたものの、いや待てよ私別のこの人に「付き合ってほしい」なんて言われてないな、と思い出し
「付き合ってないし奪うつもりないし私は好きだったけど付き合ってくれなかった。知らなくてゴメンネ」と謝罪し、実際の彼女と友達になるというわけのわからん結末を迎えた。
その彼女も不思議な子で、すごく私に懐いていた。
私のことをとても褒めて、気が移るのもわかる なんて言い出したりした。
いろいろと意味が分かんないんだけど、私ってなんていい奴なんだろう。いいやつというか、なんか、バカなのかな。
当時のコンパで知り合って、友達にしかなれなかったけど、地味にずっと友達でいてくれている男の子が一人いて
未だにその子とは連絡を取り合っているし、当時コンパで知り合った男たちも一緒に参戦した女たちもみんな結婚した。
別れた子もいるけどみんな結婚した。
なんだろうね、人生において別に自分が結婚していないことをコンプレックスに思っているわけじゃないのに
そういう恋愛関係であーだこーだ云々あった人達には、なんか、結婚してない(できてない)ことを、言いたくない気持ち。
もしくはバレてもいいから、最高に独身を楽しんでいる風にしたい。
その後も、どうしても母が嫌い過ぎた男と別れて相手がストーカーになったり(毎日のようにバイト先の前で待ち伏せしているものの手も声も出さないタイプのストーカー)
宗教が原因で別れたり(僕は楽園に行く って言ってた)
酒癖が悪くて居酒屋で母とおしぼりを投げつけ合う喧嘩をしてもう手の施しようがなくて別れた男だったり(仕事はとにかくできる人だった)
うつ病を発症した遠距離の殿方や
元嫁と住んでいた家に私を呼ぶ車好きの男や
バツイチ子持ち と聞いてたら、まぁ間違っちゃいないけども再婚もしていて単なる既婚者だった男
いろんな人と出会ってきました。
たくさんの恋愛はしてきたけど、一線を越えた人はこの中の一握りで、お互いちゃんと好きだっただろうな って思える人はさらにその中でも更に一握り。
宗教や既婚者なんかはまず普通にデートができないし
最初はもちろんそのことを隠されているし
ツメが甘くてバレたにも関わらずどっちも全然別れてくれないし
どいつもこいつもストーカーになったり、何度も携帯を変えては電話をかけ続けてくる男たち。
疲れてしまうよね、恋愛も、婚活も。
世の中にまともな男性は残っていないのかい。
ある程度年を重ねると、「バツのひとつもついてない」ということが逆に「何らかの異常がある」と思われがちな雰囲気があるし、逆に言えば自分も世の中の独身男性から見たらその域に達していると思う。
恋愛が面倒くさくなる理由の一つに
私が恋愛することに対する拒絶反応が強すぎる母の存在があるので、人を好きになること自体からもどんどん敬遠されていく30代でした。
悲しきかな、もうすぐ30代も終わり。
えっ、ほんとなの?って書いてて自分で思っちゃう。
あんなに面倒臭かった恋愛も、婚活も、コロナ禍とともに気兼ねなく奮闘できなくなって、急に 限りある時間の使い方 を考えるようになった。
多数の婦人科疾患発覚だって
なんとも思ってないと言ったらウソにはなるけど
発覚万歳、有給消化最高、退職ありがとう!とか思っていたのに
長かった祖母の介護生活や、愛犬の看取りも終わり
身も心も拘束されてしまいがちな実家からは少しだけ離れ
仕事だって精神的にも物理的にも落ち着いてきた今
やっと出会えた超奥手な38歳 タミオ君の存在が
思いの外、自分の心の割合を占めてきてしまった今
とても悲しくて苦しい現実と化して来ている。
私には可愛い甥っ子が2人もいて
エア子育ても散々させてもらって
人生満足しとるんだからみんな黙っといて!!
とか思ってたはずだったのに
不思議なもんで、今の私は 子供ができない可能性が高すぎることが、日に日にとてつもなく悲しいことに思えてきたりしている。
まだ付き合ってもいないのに。
そうなるかどうかも、わからないのに。
男運の悪い私は、また何かに気付けずにいるだけなんだろうか。
それとも
ここまで頑張ってきたご褒美が、タミオ君との出会いだと思ってしまっていいんだろうか。
これまでに付き合ってきた誰とも比べ物にならない安心感をくれるタミオ君と、私はこれからも変わらずうまくやっていけるんだろうか。
私もタミオ君に、ちゃんと安心を与えられているんだろうか。
もうすぐ39歳なのに
恋愛においては、ずっと中学2年生のままで
一人暮らしを始めても
仕事で成果が出せるようになっても
会社から信頼を勝ち取っても
金銭的に家族を支えられるようになっても
心がいつまでも、自信を持てない。
母の反応を気にして
本当は楽しくて嬉しいはずなのに
自分の恋愛がうまく行くかもしれないことに怯えて
親以外の誰かに愛されることに、罪悪感が沸き起こってしまう。
もし今後、タミオ君に気持ちを伝えられる機会だったり
まさかの逆パターンがあったとして
あやふやだった関係に約束ができた時
これまでの恋愛では言えなかった
私はこの人がいることで幸せに過ごせている、という事実を【母親に伝える】という最大のミッションを クリアしたいと思う。
今のところ敵対心は抱いていないであろう母のイメージに変化が起きることは、正直なところ少し怖いけど
それでも一緒にいたい と思える人が、きっと今まではいなかった。
ちゃんと相手を想うとか
想ってくれているのが伝わるとか
そのことで、不思議なぐらい心が強く穏やかでいられるんだ ということが
まだギリギリ38歳のうちに私が気づいたこと です。
そのことを、ずっとビビリ倒してきた母親に伝えることが
39歳になるまでの目標です。
自分のしあわせのため。
がんばります。