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できないんじゃなくて作らないから困ってる話

『このタイミングで籍を入れなかったら、もう多分きっかけなんてないよ。』

それはそうかもね。


でもさ、、のお話。


二人で一緒に暮らすことを考え出して早9か月(そんな馬鹿な)

最初は住所と同時に苗字を変更しちゃおうかと話し合ってはいたものの、ありとあらゆる要因によりお部屋探しが停滞しており
今年中の引っ越しを諦めかけた頃に、恋人の父上様から背中を押して頂き(勘違いじゃなければ)10月中の引っ越しを急遽目指すことになったために籍を入れるのは見送った ←今ここ


明日やろうは馬鹿野郎 なんて言い回しがありますけども
結婚なんていつでもできる と思ってたら大間違いである。

知らんけど。

籍を入れずに同棲することになった場合
長ければ一年とか、早ければ年内とか、期限を決めて入籍できればとは思っている。

ただ、どうしても結婚したいのか とか
結婚できなきゃ別れるのか と言われたら
正直なところNOだったりして


結婚することで受けられる国からの保証だとか
世間からの信頼だとか
得られるものはたくさんあると思っている。

しかしながら我々の関係性や生活に変化があるのかと言われたら、ほぼないに等しいだろうし
彼と別れたところで、結婚できる他の相手を探そうなんて気はない。

重い腰を上げられないタイプの恋人タミオ君にはそんなこと言わないけど、私個人の気持ちとしてはそんなところ。


女性が結婚を急ぐ大きな理由として
「妊活」があると思っているんだけど

我々は交際当初からその可能性がとても低いことを話し合っていたし、今となっては子供を持たない選択をして 完全に生理を止める薬を飲んでいる。


年齢的なことや身体的なことだけではなく、精神的な諸々も含めての理由ではあるけれど
私は自分に100%子供ができない原因がある以上、結婚を急かすつもりはなかったし、こちらから望んではいけないような気もしていた。

それに加えて、そもそも自分は結婚がしたいのか問題。

この先の人生も、タミオ君と一緒にいられたらいいな と思っていることは間違いないけれど、一緒にいたい=結婚 に結びつかない言葉の違和感みたいなのがどこかである気がする。


私の友人にはLGBTQに該当する人もいて
戸籍上が同性同士でも、男女の恋人同様 もしくは それ以上に良い関係性を築いているように見える。長く一緒に暮らしているけれど、今の日本の法律上籍は入れられない。

彼女たちは結婚こそしていないけれど、お互いを支え合って必要とし合っていて、深い絆で結ばれていると思っているし、私にとっては理想のカップルだったりする。


だからこそ、わからない。

結婚する必要はあるのか。
結婚しなければならない理由はあるのか。

メリットやデメリットはもちろん、結婚とは なんぞや と、グーグル先生に聞いたりしている。


ネットに答えは落ちていない。

厳密に言えばたくさん答えはあるけれど、結果的に何を選ぶかは自分であって、ネットで読めるいろんな答えはただの選択肢で、自分たちにとっての結論ではない。

ただ、DINKSに関する記事や「子無し夫婦」として暮らしている方の言葉に触れていると、その悩んでいる部分や自分を責めてしまう点においては共感する部分が多いなと感じる。


子供がいなくても楽しく幸せに暮らしている人は実際にいるし
そんな記事を読んで勇気づけられたりもしている。

もちろんすべて【人による】が前提ではあるが

子供が欲しいのにできない人も
子供を作らないことを自ら選んだ人も
単純に子供が欲しくない人も

子供を持たない・持てない自分に対して、どこかで自分に対する劣等感を半永久的に抱えているような気がしてる。


自分も少なからず、同じ気持ちを抱いている分際として、うまく言葉にできない葛藤や悲しみを代わりに表現してくれている記事に出会うだけで
なんだか胸がいっぱいになって涙が出たりもする。



最近読んだ記事で、とても忠実に私の心の内を表現してくれている言葉があった。

その中に書かれていたことをちょこっとだけ抜粋すると

「本当はほしかったのか、ほしくなかったのか」という自分自身への問いが意外にも一番自分を苦しめた。

「子供をほしがらないといけない」という固定観念のようなものが自己嫌悪を巻き起こしていた。

「子供はいらない」と思うことがどこか何か人として欠落しているという私の先入観、偏見みたいなものがあったのだと思う。

ほうれんそう様


私の場合は、妹二人が不妊治療の末に子供を産んでいる。

次女は結果的に自然妊娠ではあったけど、それまでの道のりはそれなりに長かった。

三女に関しては、命にかかわるような手術に何度も耐え、最終的には生まれた子供と引き換えに子宮を摘出している。


幅広い不妊治療の苦労を長年間近で見てきて、同じ病気を抱えている私にとってその壮絶な苦しみは想像に容易かった。

痛みを実際にわかってあげることはできないけれど、心身にかかるストレスは多少なりとも寄り添ってきたつもり。女性だけが頑張れば成り立つ治療でもなければ、お財布にかかる負担だって半端じゃない。


現実的に考えて、年齢的にそもそも「妊娠の確率は下がるのに流産の確率は上がる」ポイントを超えている。

大して二人とも収入が多いわけでもないので、万が一妊活や妊娠により私が働けなくなった場合の金銭的負担や、妊活を頑張った挙句にダメだった場合の精神的負担は、お豆腐メンタルな私たちにとって耐え難い苦痛でしかない。

何より重要なコミュニケーションの一つであるセックスがそれにより義務化してしまう可能性だってある。心も身体も開放して安心して触れ合えるお互いのこの大切な時間が 強制 になってしまうのはごめんだ。


まず妊活をするにあたって薬(ジエノゲスト)を中断せねばならないし、そうすれば生理も生理痛もPMSも復活する。

変な話、今は365日24時間いつでも臨戦態勢なのに
月の半分は やりたくない&できない 日がやってくる。


そして更に、無事に子供が生まれてくるかどうかもわからない
子供が五体満足かどうかもわからない
母体の方だって安全かどうか保障はない

なんて、我々には乗り越えられない。

起こるかどうかわからない可能性に怯えるなんて勿体ないとか、今後悔しないように 過ごす方が人生ってやつは充実する なんて宣っておいて どの口が言う って話だけど


子供は妊娠して終わりじゃないし
産んで終わりじゃない。

可愛いだけじゃ育てられないし
興味や好奇心で作るものじゃない。


大切な甥っ子が二人生まれてきたことで、猶更感じたこと。

自分自身が大人になり切れていないことや、親との関係性にずっと違和感を持ち続けてるからこそ自信がないのもある。



いろんなことを考えて、二人が二人のために出した結論であって、それを誰かに責められたり蔑まれたり否定される筋合いはない。

胸を張って幸せになると言えばいいし、幸せでい続ける努力もすればいい。


それなのに
どこかでいつも自分を罪悪感で縛り付けてしまうのは

作らないことは二人で決めたけど、できない理由は自分にしかないこと

子孫を残してあげられないことに対する(どちらかというと相手の)両親に対する申し訳なさ

子供が生まれることによって感じられる喜びや幸せ、自分自身の成長や周りからの評価を 恋人本人に与えることができない悲しみ

子供ができない理由があることに、どこかで安堵している自分に対する情けなさ

できない確率が高くても、できる確率がゼロじゃないのに頑張らないことを選んだ自分への劣等感




なんというのかな
心も身体も時間もお金も酷使して、世の中の「親」という立場にいる人たちは頑張っていると思う。

頑張っている人ばっかりじゃないだろうし、必要以上に「親」が頑張らなきゃいけないとも思わないし、頑張らないでほしいとも思う。


ただ、子供がいれば当たり前にしなきゃいけなくなるいろんなことを、しなくて済んでしまうことは事実であって
それを「人として成長できない」と言われてしまうのは腑に落ちないけれど、仕方ないとも思う。
人それぞれ感覚や気の持ちようには差はあったとしても、実際、経験値が少ないわけだから。

いろんな理由を加味して幸せに暮らせる方法を選択しただけなのに、楽できる方法を選択したような気がしてしまう罪悪感を

こうして自分を責めることで、心のバランスをとっているような気がするな。どこかで 懺悔していないと、選択子無し人生を世間から許してもらえないような気がしちゃうというか。


そんなわけで、私は恋人タミオ君と平穏に暮らすために選んだDINKSという決断に 誇りを持ちたいという話。

まぁそもそも結婚してないし同棲もできてないから、決めただけで「DINKSになることが目標」という、スタートラインどころかまだベンチみたいな位置で高らかに述べるのもちょっと恥ずかしい話。


世の中のDINKSの皆様や、子供が欲しくてもできなくて日々世の中や自分自身と戦っている人たちが
生きやすくなるために抱えるしかない罪悪感から 少しでも解放されたらいいのに、と思いながらおわります。

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