コンタクトレンズが大きくなる夢を見る
March5, 2019
夢の暗示するもの
コンタクトレンズがメガネのレンズのように大きくなって、はめようとしてもはまらなくなる夢をたまに見る。
夢の意味を調べると、自分の能力を活かせる状況になかったり、その状況に焦っていたりすることを暗示しているのだそう。また、大きなことをしようとしているストレスとも。なんとなく、納得してしまう。
大きなことなんて。
自信をなくして小さくなっているときは、なんでも大きなことに思える。いろいろ失ってばかりで、どんどん小さくなって、小さくて薄いコンタクトレンズすら大きく見える今のわたしなのかもしれなかった。
とまっているように見えるけれど
そんなわたしをおそらく承知の上で、仕事の相談を持ちかけてくださったのは、いまの仕事を始めた頃から尊敬している方である。
打ち合わせの席で、わたしの近況報告の後、彼女は言った。
「かいていないときに、進むものなんですよ」
彼女が言ったのは「書く」ではなく「掻く」で、それは平泳ぎの話だった。水を掻いていないとき、泳ぐひとは前に進んでいるというのだった。走り続けているときには見えないものが、止まったら見えてくることがある。汗のように吹き出してくるものもあるかもしれない。
「書く」にも掛けているのだった。
前から思っていたけれど、やはり、優しいひとだなと思った。仕事と自分に厳しく、ひとに優しい。
わたしは、焦らなくていいのかもしれない。もう怖い夢を見なくてもいいのかもしれない。
好日日記の好きなところ
そういえば、先日読んだ本にも、書道のひとがしばらく筆を持たずにいて、久しぶりに書いたとき、一段階上のフェーズに入っていた話があった。離れているようでいて、もしかすると、心の中ではずっと、書を続けていたのかもしれない、とあった。
そして、筆を持った時、それが上達になって表れたのではないだろうか。習っているのは技術ではなく、道を進むことだ。人は、何も進んでいないようにみえる時でも、時間をかけて身に付けたものだけは常に持っている。
『好日日記』で一番好きなところだから、思い出したのだった。水泳やランニングの話と、ちょっとだけ似ている。
コンタクトレンズが大きくなってしまう夢は、心して仕事に臨むときには、プレッシャーゆえにまた見てしまうかもしれないが、それなら、大きな、お化けみたいに大きな目になって受け入れたらいいではないか。今はそんな気分だ。
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