メンドウなわたしの回顧録②
一匹の猫が生きる理由だったわたし
誰にも許してもらえないってことが
幼児期から高校卒業するまで続いたという印象がこびりついている。
もしかしたらそんなことなかったのかも知れない。
わたしの記憶中では、怯えることが日常になっていた。
小学校高学年から死ねる日を思っていた。
感情や考えをシャットダウンして
何も感じないように。
何も考えないように。
何も願わないように。
ただそれだけだった。
楽に呼吸ができると感じるのは
誰にも見つからないで飼い猫といる時間だけだった。
何回もお産をして、ビッグママになっていた猫は
我に返って悲しむわたしの傍にいてくれた。
彼女の存在だけが生きている感覚を取り戻してくれていた。
同時に自分に起きていることに絶望する瞬間で
涙が止まらなかった。
死ぬことを夢見てたわたしにとって
生きる理由は彼女との時間だけだった。
気を使うことなく、
リアクションに怯えることなく
怒鳴られたり
叩かれたり
悲しい言葉をぶつけられることなく
唯一自分でいられた。
彼女が家で飼われるようになった頃は
すでに人が怖くて、自分すらわたしを否定するようになっていた。
これが当たり前だった。
わたしは
迷惑な存在で
だらしがなく
とろくさくて
気が利かなくて
生意気で
勉強ができなくて
余計なことをしたり言ったりする
恥ずかしい存在
として扱われていたから。
ただ傍で寝ている猫は
わたしを責めることなく『いる』だけだった。
何も質問されない
何も説明しなくていい
ふわふわの柔らかで温もりを感じる彼女は
わたしの心の小さな小さない光だった。
彼女に会うことだけが生きる理由だった。
彼女に、ありがとう。