メンドウなわたしの回顧録④
わたし、自由だ
わたしの心の中は自由に翼を広げて
好きな高さからできごとを眺めようと決めました。
こんなことが許されなかったのは
わたしが許していなかったから。
ポジティブがいいわけでも
ネガティブが悪いわけでもないんじゃないかと思い始めています。
そんなのもう知ってるよっていう人が多いと思いますが、
知識として知っていても、心からそう思えないわたしでした。
物事をネガティブに感じる癖が
身体の細胞一つ一つにこびりついている気がしていて、
本当は起きたこと以外に意味はないのに、
ひとりで
嫌われた
裏があるかも
陥れようとしてる
なんて感じてしまうことが多かったんです。
そう、
感じていただけ。
その反動なのかポジティブ思考へ向かわなきゃいけないと
自分に課していました。
今年の冬から数多くの出来事がありました。
春にわたしの農業に欠かせない(と思っていた)ビニールハウスが暴風でつぶれ、
初夏にコロナ感染症から肺炎を患い、軽い心不全へ発展し、
夏に精神疾患と診断されてカウンセリングに通うことに。
抗精神薬を始め、ほとんどの薬に対して副作用または副反応が起きやすいので、薬に頼らないで治癒を促すしかない体質です。
薬を飲めばもっと手軽に短期間で治ることができるかもしれない。
でも時間がかかるから、感じられることや気がつけることが
たくさんあることを体験できました。
どん底に下に、更なる底があるんだという気持ちでした。
実際は全く違いました。
わたしの周りにいる人を順に思い出した時、
上から金色の糸が降りてきてわたしのお腹に溜まっていく感覚がありました。
この時、自信や安心感が湧いてきたのではなく
ただ心が温かくなる感じを受け止めて、
ニュートラルな感覚をつかめた気がします。
それからは自分に起きたことを
どう自分が感じたかを観察することにしました。
一見するとどん底なことも
新しいスタートなのかも知れないし、
とてもいいことのように見えて
実は落とし穴があるかもしれない。
一喜一憂しないというのは、
感情を動かさないという意味ではなくて
よく観察しようということなのかもしれないと感じています。
そして観察している時も
思い返す時も
わたしの心がどう感じるかは
当たり前に自由でいいと決めました。
心の中は自由に好きな高さからできごとを眺める。
うれしさや
楽しさ
安らぎ
悲しみ
不安
怒り
どう感じていい。
自分の基準を予め決めないで
その時感じた自分をそのまま観察してもいい。
それを周りにどう伝えるかは
これから学ぼうと思うけど、
わたしの素直な言葉で伝えたい。
怒られたらごめんなさい。
次からも繰り返すかもしれませんので、
予めご容赦ください。
わたしはわたしです。
そしてわたしでいていい。