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あなたはわたしの月、わたしの星
私には夢があった。
それは、父親の国でも、母親の国でもないところへ行って、そこに住むという夢だ。
曽祖父と母親に留学経験があったことが影響して、自然と私も留学することに対してある種の憧れを抱くようになった。
ところが多くの事情が重なって、私自身は結局留学することなく、ここまで生きてきた。
安定した収入があって、年に一回、好きな国へ旅行に行くことができれば、それが一番いいかもという気すらしていた。
とはいえ、自分と全く無縁の国へ行って、100%外国人になってみたかった。
日本国籍を持っていて、日本語が第一言語で、日本生まれ日本育ちで、日本で教育を受けていて…という私でも、見た目や名前で他者化されることは無くならない。
祖国で他者化される気持ちは、なかなか理解してもらえないのだが、私のような者は、祖国で100%完全に受け入れられることは無い。
私が確固たる信念と公的書類を以て、日本人を自認しても自称しても、他の誰かにとってはそれは疑わしいものであり得ると知っている。
だが、どこか別の場所へ行って100%外国人になることだったら私でも可能なんじゃないかと、20代後半に差し掛かったある時、ふと思った。
いつかそれが実現するといいと思いつつも、全くその気配はなかった。
別にその気配が無くてもいいかと思い、実現しなくてもいい遠い夢になっていた頃のことだった。
私は知人に紹介された人と出会ってから数ヶ月で、結婚を決めてしまった。
というか向こうが決めたと言ったほうがいいかもしれない。
相手は、私の人生には長らく無縁だった異国の人だった。
全く無縁とも言い切れないが、ほぼ無縁に近い。
昭和生まれの上司にそのことを話したら「本当に昭和だねぇ」と言われた。
そんな昭和な私たちだが、渡航する2週間前、LINEでいつものようにビデオ通話していた時のこと。
「あなたはわたしの月、わたしの星」と言われた。
ついに私もそんなことを言われるようになったかと、若干苦笑しながら母がいつも語っていた話が脳裏をよぎった。
父は、母に対して「あなたはわたしの月」と言った。
跳ねっ返りで天邪鬼だった母は「それってわたしが黄色くて丸顔ってこと?」と言い返した。
まさかそんな答えが返ってくるとは思わなかった、うら若き父は慌てふためいた。
母は母で、ロンドン留学中に人種差別に遭った経験や、自分の顔の形にコンプレックスを持っていたことから、そのような発言が出たのだろう。
ちなみに父の名前には、とある言語で「輝く星」という意味があるらしい。
月に抱かれて、輝く星のもとに生を受けた。
だけどその月も、星も、わたしの目には輝きが映らなかった。
わたしの目には、光を失った惑星が2つ映っていただけだった。
満天の星空を見上げながら、茶褐色の光景が広がる西アジア地域で、わたしは故郷を思った。
星がほとんど見えない東京。
人々が忙しなく、灰色の無機質な建物が無秩序に並ぶ、心が荒む街。
いま私が住む街には、東京と変わらない街並みの広がる近代的な場所もあれば、パキスタンの最大都市カラチを思い出させるような埃っぽい雑然とした街並みも見ることができる。
初めてその街並みを見た時、昔カラチにいた時を思い出して、少しワクワクした。
そしてここはガザ地区から200キロもないのだが、血の臭いが殆どしないということに、幾日も経たないある日に気づいた。
戦争がすぐ近くの国で起きているのに、自分も含めて、この変わらない日常を送っている街や人々に時々、強烈な違和感を抱くことがある。
とはいえ、夫の親族にはパレスチナルーツを持つ人もいて、みんなこの話題には敏感である。
私はといえば、父親がゴリゴリの反米でかつ反イスラエル(私の肌感覚でいえば、多くのイスラーム教徒は反米&反イスラエルだ)で、私自身もそのスタンスではあるので、言語の問題こそあれど、その話には大体のところついていけている。
つくづく故郷とは場所ではなく、人だと、改めて思う。
わたしが恋しいのは東京でもなく、わたしが生まれ育った街でもなく、わたしの身の回りにいた人々だと、感じている。
ここにきて初めて、室生犀星の「ふるさとは遠くにありて思ふもの」という言葉の切実さを噛み締めている。
とはいえ、夫の家族は本当にあたたかい人たちだと感じた。
考え方の違いはあるが(やはり総じて伝統的な価値観の中で生きている)、それでも心のあたたかさには大きな価値があると感じている。