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自分が発達障害と分かるまでの話し
自分は大人になってから発達障害の自閉症スペクトラムとADHDの不注意優勢型と診断を受けた。小学校くらいから周りの子たちと比べてなんとも言えない違和感があった。生まれてから現在に至るまでを話そうと思う。
生まれてから幼稚園頃
赤ちゃんの頃は母曰く🤱、夜泣きが激しく困らせていたらしいその話を聞いて申し訳ないなって思った。ミルクは1日50mlと少なく母は大丈夫なのかと心配した。幼稚園頃は換気扇や扇風機など回る物に興味を示して『くるくるー!』と言っていて今思うと発達障害のこだわりじゃないかなと思った。
小学生から中学生頃
性格は大人しかったが小学生低学年頃は2人程友達がいた、小学生高学年くらいから周りの子は友達と遊んだりしていたが関わり方が分からないと言うか、周りの子たちとずれをこの頃から感じて休み時間も一人で図書館に過ごすようになった。いじめとかあったから一人でいた方が気楽だと思っていた。中学生になっても変わらずクラスで孤立していたが寂しくはなかった。中学2年から周りと合わせられない自分はいじめられるようになって卒業まで続いた。
高校生頃
祖母が病気だったことと医療職に就きたいと思い看護師免許を取る為、看護科の専門高校に進学した。高校生活は普通科目と看護科目を勉強する為、大変だったがとても充実した毎日だった。高校生になって初めて仲良くしてくれる友達に出会って🤝嬉しかった。だか病院実習が始まり上手くいかなくなる。実習では患者さんにおむつ交換などケアをさせていただくのだが実習グループの子は素早くおむつ交換できるが自分は何回見ても手順を見直しても出来ず、毎日実習終わりに反省会があるのだが自分がどこが出来なくて改善点は何なのかも言えず。実習停止になった。教員は改善の見込みがなく卒業が難しいと言い、退学して通信高校に通い卒業した。
診断されてから現在まで
実習でつまずいてからやっぱり自分はおかしい、精神科の授業で習った発達障害の症状と似ていた為、心療内科で発達障害と診断された。診断されて「やっぱりか」と原因が分かって「安心した」と思った。一般のバイトをしていたが中々周りと連携出来ず解雇されたり社会に適応できなかった。自分は社会不適合者だと感じている。心療内科の先生に「A型作業所と言う障害者の方が働く会社があるよ。」と紹介された。一般企業が難しい障害者の方はA型とb型の二つのサービスがある。A型は最低賃金で4時間くらい働くサポート付きの会社である。b型は会社ではなく病状が不安定な方が通う訓練する施設である。自分は現在、A型作業所に通い週5日4時間で月7万ちょっと頂いている。A型に来て通えている為、感謝している。記事を読んでいただきありがとうございました。