『主語がでかい』批判が抱える問題点:思考の二重プロセスについて
はじめに
現代の日本におけるSNS上の日常会話では、「主語がでかい」という批判文句の使用が頻繁に見られる。これは、話者が過度に広範な主語を用いて一般化しすぎる発言をする際に、その誤りや不正確さを指摘するための表現だ。この批判表現は適切に用いられた場合には有益であるが、過度に使われたり、その言葉が批判の紋切型として無思考的に使われるようになると、抽象化という重要な思考プロセス自体までもが否定され批判にさらされかねない危険性を持つ。本稿では、抽象化と具体化の両方のプロセスが知識にとって必須であることを改めて確認し、「主語がでかい」という批判表現のもつ危険性と適切な使い方を考察する。
人間の思考プロセスにおける抽象化と具体化
そもそも「主語がでかい」とはどのような意味の批判なのだろうか。それをより細かく文章にして説明すれば「具体的な事例や個々の要素を無視して、広範な範囲を一括りにしすぎることを指す行為に対する批判」とひとまずは定義できるだろう。一方でこれは別の言葉で言い換えれば、抽象化と呼ばれる思考プロセスの一形態でもある。抽象化とは、複雑で多様な事象や情報から共通のパターンや概念を抽出し、一般的な法則やモデルを形成する思考のプロセスであるが、これにより我々は個別の現象を理解しやすくし、知識を体系化することができる。例えば、異なる文化圏での行動パターンを観察し、それを「社会的規範」という抽象概念にまとめるケースなどがこれに該当する。この過程は、理解の促進、知識の普遍化、効率的なコミュニケーションに大いに貢献するだろう。
一方で抽象化の対義語として具体化という思考プロセスも存在する。具体化とは、抽象的な理論やモデルを具体的な状況や事例に適用し、詳細な分析や実践的な応用を行うプロセスであるが、この具体化という行為により抽象的な概念が現実世界でどのように機能するかを明らかにすることができる。例えば、経済学の理論を特定の国の経済政策に適用し、その効果を詳細に検証するケースなどだ。この過程は、具体的な問題解決、詳細な理解、理論の改良に役立つだろう。
知識における二重の思考プロセス
「抽象化」と「具体化」、これらは一見すると反対の方向を向くプロセスであり、排他的な概念であるようにも思われる。しかしながら人間の思考においては、例えば物理学者アンリ・ポアンカレも指摘するように「多様性、複雑性から単純性、統一性へ」、すなわち抽象化のプロセスと「統一性、単純性から複雑性、多様性へ」、すなわち具体化のプロセスの二重の、一見すると矛盾とも見える過程を同時に進行させる事が重要であるのだ。
すなわち、抽象化と具体化のプロセスは排他的ではなく、むしろ相互に補完し合う関係にある。抽象化によって得られた知識や理論は、具体的な事例に適用されることでさらに深められ、具体化の結果として得られた新たな知見は、再度抽象化されることで知識の体系が豊かになる。この二重のプロセスの往還運動を延々と繰り返すことこそが、知識の発展や物事の理解を深めることに不可欠である。これらは演繹と帰納の関係に言葉を置き換えても良いし、学術研究において「仮説生成型」と呼ばれる研究手法のベースとなる考え方でもある。「主語をでかくして考えてみる事」、すなわち抽象化はこのような思考の二重のプロセスの片輪を務める重要な思考様式でもあるのだ。
「主語がでかい」という批判文句の危険性
これらを踏まえて「主語がでかい」という批判表現の危険性を考える。確かに、「主語がでかい」という批判文句は、過度な一般化に対する警鐘としては有効である。例えば、「すべての若者はSNS中毒だ」といった発言は、個別の事例を無視し、全体を一括りにしてしまう危険性があるだろう。このような過度な一般化は、ステレオタイプを助長し、誤解や偏見を生む可能性が高い。そのため、それを戒めるような批判や具体的なデータや事例に基づいた主張を要求することは重要である。
しかし、この「主語がでかい」という表現が批判の紋切型としてあまりに軽率に、形式的に用いられるようになると、前述のような抽象化という思考プロセス自体まで悪であるかのような雰囲気を醸成する危険もあるだろう。このような批判表現が独り歩きし、あたかも抽象化の試みが全て不適切であるかのように捉えられてしまった場合、議論や思考は停滞し、思考停止の状態にも陥りかねない。具体的な事実に注目すること自体は有益だが、その安易な批判が抽象的な議論が全て悪であるかのような雰囲気を作り出してしまうならば、それは知識の深化や発展を阻害するもの以外の何物でもない。繰り返しになるが、大事なのは抽象化と具体化の二重プロセスおよびその延々と続く往還運動なのである。
適切な使用のための注意点
「主語がでかい」という批判を建設的に利用するためには、まず第一に前述したような思考の二重プロセスを常に念頭に置いて、慎重に用いる意識が大切だろう。その上で、抽象的な主張に対しては具体的な根拠を求め、その主張がどのような文脈でなされたのかを理解することが重要だ。また、批判を行う際には、ただ否定するのではなく、抽象化のプロセスの内のどの点が問題なのかを具体的に示すことが求められる。
抽象化と具体化のバランスを取ることは、知識の深化にとって極めて重要である。また、抽象的な議論が具体的な根拠やデータに基づいているかを確認し、批判を恐れずに議論を深める姿勢を持つことが必要だ。建設的な抽象化やそれに対する批判は、議論を停滞させるのではなく、より精緻な理解と解決策を生むための手段となるべきである。
おわりに
以上、「抽象化」と「具体化」は、その両方が知識の発展に不可欠であり、この二重のプロセスこそが人間の思考にとって重要であることを再確認した。「主語がでかい」という批判は、適切に用いることで建設的な議論を促進し、深い理解を目指すための有用な手段となる。しかし一方で、この批判が形式的に使われすぎると、あたかも抽象化という思考プロセス自体が否定されるような雰囲気を生む危険も存在する。何かを議論する際には、批判を恐れず、しかし批判を紋切型にすることなく、抽象化と具体化のバランスを取った思考を維持することが重要となるだろう。