「奢り奢られ論争」についての雑感
はじめに
現代社会において、「奢る」、「奢られる」という行為は依然として男女間で議論の的となっている。過去においては、男性が女性に奢ることは当たり前とされていた。しかし現代においては、男性が経済的に女性を支えるという古いジェンダーロールの有効性は揺らいでいる。この論争を深く理解するためには、複数の観点から多面的に考える必要があるだろう。本稿では特に文化人類学的な視点と生物学的な視点の2つから考えてみたい。以下では、まずマルセル・モースの『贈与論』を紹介し、その観点から奢る奢られる論争を分析する。さらに追加の参考として、広い意味での生物という視点から動物や昆虫の世界における性別間の贈与と見なせる例とその生物学的な解釈を簡単に紹介し、論争の整理と総合的な理解の深化を目指す。
贈与論の観点から見る
まずマルセル・モースの『贈与論』(1925) の観点からこの問題を整理してみたい。モースの贈与論では、贈与が単なる物質的な交換以上の意味を持ち、社会的関係を構築し維持するための重要な行為であると捉える。贈与には「贈る義務」「受け取る義務」「返礼の義務」の以下の三つの主要な義務が伴うとされる。
贈る義務:贈与者は相手に物やサービスを贈る義務がある。
受け取る義務:受贈者は贈与を受け取る義務がある。
返礼の義務:受贈者は贈与を受け取った後、適切な時期に返礼する義務がある。
贈与論においては、これらの義務を通じて贈与が循環することにより、贈与者と受贈者の間には社会的なつながりが生まれ、関係が強化されると考える。モースは、贈与が持つ社会的な意味とその影響を強調し、贈与行為が社会的絆の形成においていかに重要であるかを明らかにした。
誰かに奢るという行為も、自らの経済的な資源を提供するという意味において「贈与」と見なされるものだろう。奢り奢られ論争の場合、男性側の視点から見ると、奢る行為は相手に対する好意や敬意を示すものであり、それ自体が「贈与」と捉えられる。一般に男性はこの行為を通じて女性との社会的関係の構築を期待するものであり、この点でモースのいう「贈ること」の義務を果たしていると見なせるだろう。
一方で、女性側の視点から見ると、男性の奢る行為は必ずしも純粋な「贈与」として受け取られないことがある。例えば女性側は、社会的交際に際して美容やファッションに多大な費用をかけており、これを男性側に対する投資と見なす場合がある。したがって、男性が奢る行為は「贈与」ではなく、女性がかけた経済的コストに対する「返礼」として認識されることがある。この点で、モースのいう「返礼の義務」が反転していると言えるだろう。
モースの理論に基づけば、贈与には必ず返礼が伴うべきであり、返礼を拒否することは贈与のサイクルを断ち切る行為とされ、奢る奢られる論争においても、同様の現象が見られる。例えば女性が美容やファッションに投資する行為を贈与と見なし、男性が奢ることでその返礼を果たすという認識がある限り、贈与のサイクルは成立する。しかし、このサイクルが一方的なものである場合、贈与の本質が失われる可能性がある。男女間において期待される「贈与」と「返礼」の形は必ずしも一致しないことが多い。このズレが、奢る・奢られる行為が必ずしも喜ばれるものではなく、場合によっては不快感を生じさせる理由である。
さらに、この問題を複雑にするのは、文化的背景と社会的期待の違いである。ある時代やある社会では、男性が女性に奢ることが礼儀や伝統として根付いている場合もあるが、他の時代、社会ではそれが性別役割の固定化として批判されることもある。このように、奢り奢られ論争は単なる経済的な問題ではなく、深い文化的・社会的背景を持つ問題である。
この問題を解決するためには、贈与と返礼に関する双方の認識を調整し、コミュニケーションを改善することが重要である。奢る行為が純粋な贈与であると感じる男性と、それを返礼とみなす女性の間で、期待値を共有し、互いの立場を理解する努力が求められるだろう。モースの贈与論は、社会的な関係性を理解し、調整するための有効な枠組みを提供しており、奢り奢られ論争の解決にも寄与する可能性がある。
※補足、生物学的な観点から見る
次に、生物学的な視点から奢り奢られ論争の理解を試みるが、まず第一に人間の行動は、文化的、社会的、心理的要因によって大きく影響を受けるため、昆虫や動物の行動様式などの生物学的視点を直接人間の行為に当てはめ理解しようとする試みは必ずしも適切ではない。また「贈与」などの社会的概念が昆虫や動物の世界における類似行動に適用可能か否かについても本来ならば慎重な検討が必要である。よってここで語られる内容はあくまで参考程度として理解されるべきであることを先に付言する。
贈与の類似行為は、自然界においてもいくつもその例を観察する事ができる。例えばいくつかの昆虫種では、オスがメスに対して贈り物を送る例が見られる。例えば、ガガンボモドキ(Empididae)のオスは、交尾の前にメスに食物を提供することが知られている。この行動は、メスの交尾の意欲を高め、オスの繁殖成功率を向上させると考えられている。同様に、オドリバエ(Hilara sartor)も、オスがメスに贈り物(例えば食物)を提供する行動を示す。これは生物学的な性差が求愛行動やパートナーシップの形成に大きな影響を与える例である。これらの行動は、生物学的には「直接的な利他行動」として説明されることが多い。オスは自らの遺伝子を次世代に残すためにメスに贈り物をする。このような行動は、進化の過程で有利に働くため、選択されてきたと考えられている。
人間においても、進化心理学の視点からは、男性が女性に奢る行為は繁殖成功を高めるための戦略と解釈できる。男性が資源を提供することは、女性に対する配偶選好の一環であり、より良い遺伝子を持つパートナーを獲得するための行動とされる。これは、男女間の経済的な役割分担が進化的な背景に基づいていることを示唆しているだろう。結局のところ、「傲り奢られ論争」の構造はこういった生物学上のシンプルな原理によって理解されるべきものなのかもしれない。
しかし、繰り返しになるが人間の社会的行動は単純に生物学的な法則に従うものではなく、文化的、社会的、心理的な要因も大きく影響している。したがって昆虫や動物の例のような生物学的な視点を、そのまま人間の「奢り奢られ論争」に適用する事は必ずしも適切であるとは言い難い。しかしながら、両者の間に直接的な類似性がないにせよ、生物学的な観点を通じてそれら行動の背後にある基本的な原則やパターンを理解することは、人間の行動を考える際の一つの有益な参考視点を得ることに繋がるだろう。
おわりに
以上本稿では、「奢り奢られ論争」が男女間の認識のズレから生じる複雑な問題であることを確認し、モースの「贈与論」に基づき対立要因の整理を行った。また生物学的観点からは、男性が資源を提供する行為が進化的な適応戦略の一部であるという視点を得た。総じて、奢る奢られる論争を理解するためには、文化人類学や生物学的な視点のみならず、さまざまな分野の多面的な観点から統合的に考察する必要があり、それによってはじめて対立の根本原因に対する新たなアプローチが見えてくるものだろう。社会的価値観や生物学的要因などが相互に影響し合いながら形成される複雑な人間の行動を理解するためには、さらなる議論が求められる。