アナログ即デジタル
人間の体も、感覚器官も脳も全てアナログでできている。
神経細胞は、金属を流れる電気のように電気を流すのではなく、細胞がバケツリレーで化学反応を使って、電気信号を流し、それを脳に伝える。それは電気を流すより、えらく遅いが、ものすごく省電力になる。
人間の脳や視覚をデジタルでモデル化したのが、Deep LearningでありAIであるが、実際の脳はアナログ回路であり、もっと省電力で、複雑な思考を動的に変えながら行うことができる。
しかしながら、私が思うに、自我すなわち分別する私は、デジタルである。言葉の世界に生き、記憶を頼りに、予測と分別を繰り返す、情報処理マシンである。
自分の体や感覚器官というアナログから、A/D変換にてデジタル化された情報を拾い、処理をした結果をまたD/A変換して、感覚器官や脳に伝える。その繰り返しの中で、時には苦しみ時には楽しみ、そのデジタル回路自身が進化しながら時を過ごしている。
デジタルがあるが故、「有る」と「無し」を区別し、本当は自分(自我)自身が全てアナログであることに気づかない。アナログの世界は、無自性の世界であり、有無の世界はデジタルの世界だ。有無の判断とは客観世界のアナログ情報をA/D変換して、主観世界で分別することではないか?
全てアナログであることに気づけば、世の中が全て無自性であることが意識できる。どういうことかといえば、客観世界のアナログ情報をそのまま、デジタル化しないで、主観に取り入れればよい。
それは判断の世界ではなく、悟性で感じる右脳の世界だと思う。禅で言う三昧とかはそういう世界だと思う。
無分別智とは、アナログである入出力をデジタル化しないで判断する能力と言い換えることができるのではないか?