アナログ思考と相対視
無分別、物事を区別しない一元論は、物事はデジタルのように離散系ではなく、アナログすなわち連続系であるということ考えることだ。
時計であれば、時針の示す値は、時の目盛ちょうどでなく、それだけでその時間の今どの辺なのかわかるであろう。
デジタル時計は、そうではない。示すのは数字で離散的なその値だけを示す。
無分別というのは、全てはアナログであると考えることである。デジタルが 0または1とすれば、アナログは、0-1の間の如何なる値を取れる。
「ある」「ない」の話であれば、 0.2「ある」で0.8「ない」とかを認めるのがアナログである。ちょっとあるがほとんどない、という感覚である。
そうやって全てを一つにみるということは、一つという客観的な視点から、全体における位置関係を、相対的に決めることになる。
その時に視点が変われば、位置の見え方も変わる。必ずゼロかイチが決まるものでもなく生まれるのはベクトルのような方向性を持つ数値となる。見方が変われば相対的な位置も変化する。
例えば健康と病気を一つに考えてみる。それは健康が有ると無いを一つに考えることだ。
自分を自分で客観的に眺める視点からは、自分は持病が発覚し、余り健康とは言えないので健康0.2病気0.8と考えたとしよう。しかし同じものを、既に大病を患っている人から見れば、健康0.8病気0.2に見えるかもしれない。それはどれも正解であり、どっちが正しいとは言えない。
それがわかっていれば、自分の悩みの小ささに気づく事ができる。
客観視の上で大事なのは、神でない限り本当に外から見えることはできないので、人間は相対視しかできないことを理解することだ。