ぐらぐら
この職業につきたいんです!と自分がその職に感じている魅力や、その職への適性や、人生でその職と繋がっている部分を意気揚々と語るたび、それは事実であるはずなのに嘘をついているみたいな気持ち悪さがついてくる。
職につき週5で働くこと、新しい環境が着々と近づいていることへの恐怖を感じてるはずがそれを隠しているから?それもある。
けど多分一番は‘意気揚々’の部分に気持ち悪さを感じてる。意気揚々と自分を語ること、ものすごく取り繕っているのがわかって吐き気がする。そんな人間じゃあないのに少しでも良く思われたいから明るく振る舞っている。
何もない。皮を剥いだらペラッペラの中身だけが残る自分に自信がないからそうするしかない。そう振る舞えるようになったことを少しは喜ばしく思う反面、あのころ好きだったはずの私らしさはぼろぼろと手のひらから損なわれていく。それがすごく切ない。それが何かも思い出せない。
わたしは立派な何者かになりたいのだろうか?
特に努力もできないままやる気を言い訳に様々なことから逃げ出し、それでも何かになれるはずだと、そう思っているのだろうか?
何も持っていない、何者でもないこと。今はまだ若いから、明るく振る舞えば許されたり褒めてもらえたり笑ってもらえたりしているってだけじゃないのか?30代、40代になったときわたしはどうなる?今何かに向かって歩き始めなければ、子どものまま歳を重ねることになるような気がする。
何かを手に入れなければ。責任?立派に責任を負う働く人間になりたい?そんな風にしている自分の姿を想像してみる。なんだか格好良さそうだけど自分じゃないみたいですごく怖い。足元が不安定な感じ。そんなのどうだっていいと心の底から笑い飛ばせない。
まるごと子どものままでいたいような、子どもの心を残している大人になりたいような。どちらかというと後者かな。可能なのか、そもそもそれは一体なんなのか。無邪気さ、一途さ、熱心さ、素直さ?
単に未熟者だからこんなことを考えてしまうのか……まああれか…これからだんだんわかるか!
働いている人ってすごい。同い年の子はもうほとんどが社会へ飛び出し働いているのにアタイは…とぐったりげんなり白目をむきすぎず前向きにいこうと思います。へえ…
こんなわたしにBUMP OF CHICKENはずっと厳しくもやさしい。
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