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いろんなラベルにバツをつけたい

最近よくぼんやりしながら自分の性別はなんだろうと考える。名前のあるものに属することで自分を固定して安心したい。けれど、どれも芯からはしっくり来ない。
ジェンダー以前に人間であり、私は私という人間でしかないのにな〜とも思う。
身体の性は女で、特に違和感を抱いたことはない。
小さい頃から「女の子らしく振る舞え」だとか、髪型や服装に「男の子みたい」とか言われることが嫌いだったのはよく覚えてる。
好きになる性は不明。今は「大切に思う存在」というラベルしか自分の中に存在しない。好きだな〜この人!って感覚はある。その傍で男女どちらに対しても、性的に惹かれる感覚が全くわからない。マジ霧の中。
昨今よくみる「メロい」もギリギリ理解できていないような感じだし、「エロい」は全く分からない。なんというかこれまで自分が見たり聞いたりして積み上げてきた「エロいらしいもの」の情報群からの客観的な判断というかんじ。どちらも人間のコンテンツ消費的な雰囲気を感じて苦手な言葉でもある。
LOVEかもしれんという記事に、私の自認はアロマンティックアセクシュアルであると書いた。そうすることで、恋愛から離れたところで「恋愛?誰かと一緒になる?え?」みたいな顔をしている私のことを救おうとした。
多様性が重視される時代、いろいろなものが細かく分類されて名前がつけられている。どれだけラベリングが進んでもその中のグラデーションを忘れないようにしたい。
便宜上ラベルをつけなければ世の中は回っていかない部分もあるが、やっぱり心の中だけは自由でありたい。私はね。誰かに認められなくても良いと胸を張って言えること、贅沢なことなのかも。結局どんな枠を提示されても、そんなもので私を表現することはできないのだよワトソンくん…君も、あたりの人たちも然り。と言いたくなるんだと思う。
まあでも何も考えることも知ることもないままラベルを跳ね除けてしまうのはなんだか味気ないので、自分のジェンダーその他諸々に向き合うことはやめないでいたい気持ちもある。
この世のすべてのラベルと向き合ってバツをつけて、そうして形作られる自分の像を夢見ている。

長たらしくてウダウダしてるのが嫌でずっと下書きに放置してた文章を解き放った。もったいなくて…はずかしいよりもったいないが勝つとき…

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