ノリと行動で人生の進路を決めちゃった話


「私、白衣着て働きたい!!」


18歳の頃、ほぼノリで人生の進路を決めた。
「ナースのお仕事」に出てた観月ありさが可愛いかったからだ。

他にもそれっぽい理由をあげてみると

安定した職業で食いっぱぐれがないこと。

就職進学というものがあって
働きながら学校に通える。

学費は勤め先の病院が出してくれるので、
親に援助してもらわなくて済む。

何より、知らない土地で1人暮らしができる。
最高の条件が並んでいて、私は迷わずに進路を決めた。それが、甘かった。

みんなが大学に通い、恋愛を楽しみ、友達と遊び、人生の黄金期を過ごしていた頃。


私は沖縄から遠く離れた土地で
看護学校に通いながら、
精神病院で看護助手として働き
毎日怒られ、
泣きながら
窓のない独房のような閉鎖病棟の床掃除をしていた。
周りのみんなが羨ましかった。


修羅の道を選んだのは私。

メリットばかりしかみておらず
こんなに大変な未来が待っていたとは想像していなかった。

慣れない環境
社会人一年目の壁
仕事と学校の両立
ホームシック
実習

上記に並べられたこのワード1つ1つで
5時間は語れるくらい
人生の中で最も過酷な2年間だった。

働いていた精神病院は、仕事もハードだったが
何より人間関係が最悪で毎日職員が誰かの悪口を言っていてかなり人間不信になった。
患者さんからも罵声や卑猥なことを言われることもあり、精神疾患の患者さんの関わり方に悩みながら毎日心が疲弊していた。

そんな毎日を2年続け
気合いと根性でなんとか
准看護師の資格をとった私は
沖縄に戻った。

かなり心が疲れ切っていたので
のんびり働きたいと思い
小さなクリニックで働いていた。


しかし、
やはり一度は大きい病院で看護師の仕事を一通り出来るようになりたい夢が捨てきれず
再び沖縄の看護学校に通い、2年かけて正看護師の資格をとった。

そんな私は今、憧れていた白衣を着て
総合病院でリーダーをしている。
全般的な仕事も任せられるようになり
新人教育も行っている。

18歳の頃、泣きながら閉鎖病棟の床を
磨いていた私に今は想像もつかない人生が待っていた。

高校生の描いた「看護師になる」
という夢は凄く単純なものだった。
ただ単に白衣を着てみたかったからだ。
白衣を着て働ければ十分だった。
情熱も無かった。
でも実際に看護師になり、
多くの患者さんの人生の最後に関わり
死生観について考えさせられた。
「憧れ」て目指したことだったが次第に情熱がでてきて仕事に対する想いも深みを増すようになった。

憧れていた看護師の夢を掴みとったが
これまでの経験は生半可なものじゃなかった。
辛い経験からたくさんのことを学び
高校生の私には想像してなかった「私」になれたのではないかと思う。


何も考えてなかったわけではないが
条件に惹かれたり憧れたりして
実際に行動に移してみて、
こんなんじゃなかったって後悔しつつも
継続してみて何かを感じる。

10代からそんな無鉄砲さがあって
苦労もしたけど良かったなと思える。

まだ知らない自分自身を知ることができるから。
行動することで、
新しい未来を自分で切り拓いていけるから。

これからも興味のあることに挑戦し、自分の可能性を広げながら豊かな未来にしていきたい。

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