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歴史に学ぶ癒し(2):手仕事にいそしむ

労働は罰なのか?

筆者はかねがね、人間というより日本人はなぜこんなに仕事が好きなのかということを考えてきた。欧米やキリスト教圏では労働は罰である。フランスでは仕事で何かを達成するよりも、バカンスをどう過ごしたかを自慢する風潮があると聞いている。労働は神聖な行為だが、人間にとって辛苦であり、ハッピー・リタイアすることが人生の成功とみられている。

あるうつ病患者が回復した秘密

ところで筆者の知人にかなり重度の討つにかかったが、見事カムバックした人物がいた。彼にその秘訣を聞くと、それは体を動かすことにあったという。もともとスポーツ好きであったからかもしれないが、とにかく体を動かすことで、体内に快楽物質が生まれ、それが写の改善を促したというのである。とはいえ、無理は禁物である。彼のもう一つのアドバイスは、決して無理しないこと、焦らないことだそうである。実際に心理学の専門家が書いた「うつは手仕事で治る!」(現在絶版?)という本すらあるから、彼の言い分はある意味医学的にも裏付けがある話だ。


手仕事の快感

彼の言葉には先の疑問に対する答えの一つがあると思う。要するに人間はずっと、獲物を追ったり農作業をして生命を維持してきたのであり、そういう体のつくりになっているということだ。さらに加えて、獲物を捕まえること、モノを作ることには達成感がある。とりわけ、自分の手で何かを生み出すということは、物質的な利益以上の喜びがある。ましてやそれが他人から求められ、対価が発生したり、贈って喜ばれたりすると、承認欲求を満たしてくれさえする。自分が人から求められているということは自己効力感にもつながるはずだ。


農業は祭り?

そんな風に考えていくと、一粒の種を地面に植え、それを育てていくとやがて多くの実りをもたらすというのは、自然の神秘であり、自然の恵みへの感謝をもたらす。昔の人はそれを祝い、自然の恵みに感謝し、次の実りを祈るため祭りを行った。だから農耕とは身体的・経済的・宗教的な営みが一体化したものだったのかもしれない。ところが工業化社会になると、モノを生み出すのは人為的な原動力と物理化学法則による加工や変化である。そして売り上げからコストを引いてなんぼ残せば勝ち、という経営学なるものがその無味乾燥さに拍車をかける。


手作業のススメ

とすれば、現代のコスパだのタイパだのという観念を一度捨てて、手や体を動かす事の喜びに焦点を当てて、手仕事・手作業にいそしむことが癒しにつながり、平静をもたらしてくれるのではないか?そしてもしそうした手作り品が少しでも売れたり、あるいは奉仕して人から喜ばれれば、自己効力感は高まる。日本人が仕事好きなのはそういう喜びを知っているからではないかと最近思い始めている。実は産業革命前の中世ヨーロッパに人々だってそうだったのではないか?だから仕事が趣味というのは悪いこととは言えないと思う。もちろん仕事のためにあらゆることを犠牲にするのは考え物ではある。それから重度のうつは何かをする気力さえわかないものだそうだから、そういう人は治療と回復が先だろう。でも不安に襲われたら、仕事、それも手仕事に打ち込むこと、それが癒しをもたらしてくれるような気がする。(了)


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語部史(かたりべ・ふひと)
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