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考えるヒント(4):どうせなら「テクノ(デジタル)封建制」にどう対処するかを考えてみよう①
「テクノ(デジタル)封建制」について深掘りする理由
このテクノ封建制、デジタル封建制について、、興味を持って深掘りしたくなった。下記の記事ではぐちっぽく、皮肉っぽく語ってしまったが、ネットでいろいろ探っていくと、これとは逆の意見がある。むしろこれをチャンスととらえてのし上がれ、という勇ましい声だ。これを見て思い出したのは、ヨーロッパにも日本にも封建制の時代はあり(中国の封建制は本家なのにちょっと意味が違う)、むしろそのシステムにうまく食らいついて甘い蜜を吸い、しぶとく、したたかにに生き抜いた人たちがいたことだ。
現在の論壇への違和感
下記の本を絶賛している人の多くは、マルキシズムの立場やいわゆるリベラル系言論人の人である。したがって議論のいきつくところは、これを打倒せよだの、抵抗せよだのと呼びかける方向になる。これはマルキシズムの宿痾で、現状への批判は鋭いが、「革命」や「打倒」が達成されれば「バラ色の未来が訪れる」といういつもの論法だ。その結果がソ連だったわけで、見るも無残な結果になった。だからこの手の言説には注意する必要がある。逆に我々一般人は批判することを商売にして飯は食えないわけだから、この変化が不可避ならば、むしろそのシステムの構造やメリット・デメリットを冷静に見て、その中でどう自分の取り分を確保していくかを考えた方が、それこそ「生産的」ではないのか。大げさに言えば、来るべき未来と過去の歴史を照らし合わせて、未来を切り開く道を探るべきなのではないか。
しぶとくしたたかに生きる術を考えよう
あるいは、個人レベルではしぶとく生き残る策、できたらちょっとはいい目を見れる知恵を絞った方が良いのではないかということだ。もちろん政治家を目指している人や論壇で食べていける人は批判でも運動でも何でもやればいいだろうが、筆者はご遠慮申し上げたい。
ということで、しばらく投稿を続けていく。手順としては、まず歴史上の封建制の仕組みと、このテクノ(デジタル)封建制なるものの仕組みを比較しながら、考察することから始めていきたい。(しかしこのシリーズも、持ち出しばかりで何のリターンもないんだろうなあ(苦笑)。)(了)
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