今こそ歴史に学ぼう(1)ジョゼフ・フーシェ:フランス革命とナポレオンの時代を生き抜いた男
革命の申し子の二大巨人を手玉に取った男
ブルボン王朝が滅び、その後のフランス革命も次々に路線変更。さらにそのあとナポレオンがすい星のように現れるもや果て消え去り、再度ブルボン王朝が復活と、この時代のフランスはまさに予断を許さない激動の時代であった。その激動の時代を生き抜いたばかりか、多数の人間をギロチンに送り恐怖政治を敷いたロベスピエールや、ヨーロッパの王侯貴族を震え上がらせたナポレオンと互角にやり合った人間がいる。それがジョゼフ・フーシェだ。
徒手空拳から成りあがったフーシェ
フーシェはナントという港町の商人の家に生まれたが、生まれつき病弱だったので、教会の寄宿学校でまなび、やがてそこの教師となった。その革命の機運に乗じて政治家となり、中央に進出する。そして血なまぐさいスローガンを抱えて革命政策の冷徹な執行人とって名をはせるが、やがて実権を握るロベスピエールと対立し、巧みな裏工作で失脚寸前にまで追い込むも、やがて追放されてしまう。
赤貧から警察大臣へ
この失脚中にフーシェは密偵となり、情報を握ることの重要性を知る。そして自分が知り得た秘密をネタに、時の政権の警察大臣に突如抜擢される。地位を得た彼はさらに情報網に磨きをかけ、国内外の重要な情様な情報がたちどころに手元に集まるシステムを作り上げる。そしてさらに台頭してきたナポレオンにすり寄り、この新政権の警察大臣に任命される。ナポレオンもフーシェのもつ情報網に頼り、フーシェを嫌いつつも彼を手放すことができない。なんせナポレオンの奥さんの借金を肩代わりして恩を売り、密偵に仕立て上げたばかりか、ナポレオンその人の浮気情報までつかんでいるのだ。もちろん下ネタばかりではなく、ナポレオンに対する不満分子の動向も逐一把握し、それを片っ端からつぶしてくれるのだからナポレオンにとってはなくてならない存在なのだ。
ナポレオンへの背信
しかしナポレオンはやがて増長し、ヨーロッパ制覇をもくろむようになる。その陰で国土が荒廃し、国民が疲弊していく。フーシェはそれをフランスのためにならないと気づき、やがてその野望を妨害しようとする。ナポレオンはフーシェを追放したいのだが、怖くてできない。そのうちにナポレオンは失脚して、ブルボン王朝が復活するが、なんとここでも警察大臣の職を得る。革命が終わってここまで生き抜けたのは、彼の好敵手で外交官のタレーランぐらいのもである。通常、フーシェは風見鶏、権力を得るために誰にでも尻尾を振り、しかも最後はその飼い主を裏切った男として、悪評頻々の下に語られる。しかし果たしてそうか?
フーシェとは何か~情報の重要性を知っていた男
彼の伝記を書いたツヴァイクも、一面では「鉄面皮」「無性格」などとも書きながら、この男の生涯の不思議さと複雑さ、そして現実の政治はどのように動いていくかという視点から、彼と彼が生きた時代を生き生きと描いている。日本でもかつて堺屋太一氏が取り上げて話題になった。筆者もこれらの影響を受けている。筆者は彼の行動の全てを正当化しようとは思わないし、政治家としての評価は専門家に譲りたいが、一方でこの人物が激動期を生き抜き、しかも権力の中枢に残りえたのはなぜかという点を考えてみたい。
まずはあの時代に情報の重要性を見抜き、自前の情報解析システムを作り上げた点でであろう。皆が革命の興奮に恍惚となり、ナポレオンが築いた栄光の美酒に酩酊している時、彼はその傍らで淡々と自らが拠って立つ「足場」をより堅固にすることに営々と努めていたということである。ちなみにいま彼の猿真似をやっても意味はないだろう。なぜなら皆が情報の重要性に気づいてしまったからである。強いて言えば、自分だけの情報源を持つことぐらいか。
特定の価値観に拘泥されず状況の変化を観察
もう一つ注目すべき点は、何が起こりつつあるのかを冷静に見つめた点にあるだろう。今日の正義が明日には悪となり、今日の悪が明日の正義となるような価値観が大きく揺れ動く時代、善悪を抜きにして何が起こりつつあるのかを見つめられるというのは、逆に美点ですらある。例えそれがフーシェのように「無性格」「無節操」と言われようとも。
翻って現代、何が正義かわからなくなってしまっている。トランプの言動に眉をひそめながらも、移民問題の難しさから一理あるようにも見えてしまう。ウクライナもパレスチナもさっぱり出口が見えてこない。環境問題はわかるが、この酷暑をしのぐには冷房がないと命が危うい。一体何が正しいのか。
それだけではない。確かに人工知能は便利そうだが、一方で人間を、いや有り体に言えば自分を地位や仕事から駆逐してしまうのではないかという不安。身の回りにも押し寄せてきたエクィティやハラスメントの問題と人々のいがみ合い。国家レベルではともかく、個人レベルでは特定の価値観にしがみついていると、世間からの糾弾や失業失職の憂き目にさえ会いそうな気配である。
ここはとりあえず、自分の好悪はおいておいて、何が起こっているのかを把握し、適切な手を打って、生き残りを図らねばならないのではないか。そこにはある種のしたたかさやしぶとさも必要になってくる。そうした観点でフーシェとその時代の変動を見る時、得るところは少なくないのではないか。
政治の現実とは
もう一つ彼の生涯とその背景に広がる激動の時代の象徴を見ることは、政治の現実を知る解毒剤的効果があることだ。いうまでもなく、今ある政治の混迷と不可解な権力の交代劇。フランス革命という正義と理念が高く掲げられた時代ですら、政治とは結局善かれ悪しかれこんなもんなんだという実感は、政治や権力闘争につきまとう醜悪さに対して、ある種の諦観と落ち着きを与えてくれる。そしてその中で自分の生活をどうしたたかに守っていくか、そのヒントも与えてくれるような気がする。(了)
参考文献
・シュテファン・ツヴァイク『ジョゼフ・フーシェ ある政治的人間の肖像』(岩波文庫、中公文庫):どちらの訳でも味わい深いツヴァイクの世界が味わえます。
・堺屋太一『現代を見る歴史』新潮文庫(現在品切れ)。