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パワスポに「呼ばれる」のには、ちゃんと理由がある。

おはようございます。スピリチュアルネイティブのタケルです。朝日が綺麗な朝。パートナーがまだ起きてこないので、紅茶を飲みながらこれを書いています。

さて、今日は前回の記事の続きから。

スピ好きさんから割とフツーの人まで、パワスポなどに「呼ばれる」という感覚を味わったことのある人、または「どんな感じ?」と興味をそそられる人も少なくないんじゃないかなと思う。

俺自身、実際に経験してきた感覚で言うと、

・その地に「一緒に行かないか?」と誰かから声をかけられる
・その地に出張や取材が入る
・その地の名産品やお土産品をもらう

だいたいこんなところかな。あとは、たまたま読んでいた本に地名が書いてあるとか、テレビをつけたら特集をやってるとか。ネットで見かけることもあるけど、ネットの場合はそもそも一度その地名を検索したら繰り返し出てくる機能があるから、この辺は俺はスルーしがち。

あとはSNS上でやたらと友人知人がその地に行ってる、だからなんだか気になる、ってこともあるよね。

ただ、呼ばれたからといってすぐに行くとも限らない。自分の場合なら、最低三回以上は目にしたり、声をかけられないとなかなか動かないかも(だから最終的にいつも仕事で行くパターンになるのかも)。

お金や時間の問題もあるし、そういう諸条件が整うのをのんびり待つことが多いかな。

それでも動かないでいると、しまいには夢で現地に行っていて、なんかもうそれで行ったことにする、なんてこともある。


なぜ呼ばれているのか?



で、前回も書いたんだけど、大事なのは「なぜ呼ばれているか」じゃないかと思う。結論から言うと、これって結局、実際に行ってみないとわからないし、もっと言えば、行ってもわからないこともある。

ただ、行ったあと、ある日ふっと「ああ、だから呼ばれたんだ」と思うこともままあるかな。

例えば今回の俺の屋久島の場合、自分自身の「今ここに在る感覚」について向き合うのがテーマだった、と感じている。

ちょっと難しい概念かも知れないけど「実存」と言い換えてもいいかも知れない。

詳しくは省くけど、旅をしながら、「今ここにある自分を、自分がどう感じているか」について、深く感じ入っている旅だな、と思う。不思議と、同行者や知り合う人々とも、このテーマについて話し合うことが多い。

森の草木と語らい、この実存をしっかり感じることで、俺はまた新しく生まれ変わろうとしているんだな、と感じている。

「呼ぶ側」もまた、学んでいる


ちょっとあやふやかも知れないけど、今のところ俺が感じている「島に呼ばれた理由」がこれだ。ここまで読んでピンときた人もいるかも知れない。そう、とどのつまり、「呼ばれる」とは、自分の内面の変化の時期に起こりやすいもの。そして、その変化を起こすのに最適な場所に、「行き着く」と言うことがほとんどなんだ。

つまり、呼ばれているようで、自分の潜在意識でその土地に「行き着こう」としている。

それでいて、もちろん「呼ばれて」もいる。なぜかといえば、

土地の側も、同じテーマが浮上している時期を迎えている

からだと、俺は思う。土地の側とは、つまりその土地の神さんとか、存在たちだよね。今回のケースで言えば、屋久島の神さんもまた、「実存」について向き合っている、または感じようとしている状態にあった、と言える。

そして、同じテーマをもった人間が同時期に集まることによって、不思議な磁場が生じてくる。「呼ばれる」とは、何も一方的な話じゃない。実は相互的な話なんだ、と思う。

つまり、命はそうしてつながりながら、学び合っているということ。

まあ、土地の神さんの側の事情まで察知する必要はないかも知れないけど、これまでたくさんの土地に呼ばれてきた経験から言えるのは、こんなところかな?と思う。

このあたりも、いつか詳しく書けたらいいな。

いずれにせよ、呼ばれる理由は、行ってみなわからん、ということかな。


読んでくれて、ありがとう。


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タケルlスピリチュアルネイティブ
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