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死について

数年前、父親の介護と自宅での看取りで学んだことがある。

父はがんだった。
初めは一人で通院していた父も次第に体力が衰え、私が付き添うことになっていった。
病院までの往復時間、何かを考えると辛くなるので、普通に接したり頭の中をからっぽに、ただただ病院へ行くということに集中した。
病院嫌いの父であったため、ぎりぎりまで入院を拒んだ。
自宅療養と通院でがん治療をおこなっていたが、ある日限界を超えて救急車で運ばれた。

【一両日中に覚悟してください。】という医者の言葉が、一晩私を寝ずに待合室で待たせた。
明け方、朝日のキレイな空を写メした。とても綺麗な空だったのを今でも忘れることはない。

ところが父は一命をとりとめた。医者も驚くほどの生命力である。
その後、
「天井にカブトムシがいる。」
「あのポスターはなんだ。」
時折、見えるはずもないものを言葉にするようになった父。
意識障害(せん妄)の状態で、なんとか会話ができる状態であったが、それでもしつこく聞いてきたことは、
「いつ帰るの?」
本当に帰りたい様子だった。

一時は危篤状態となり、
すでに会話もままらなず、
食べるどころか飲み物もほとんど飲めない。
そんな状態でも、永遠に帰りたいと言う父。

私は医者に相談した。しかし退院は止められた。
今思えば、【止められた】というより【拒まれた】という表現のほうが相応しいかもしれない。
責任持てないと言われた。
家までの搬送中になにかあって、また戻りたいと言われても困ると言われた。
ようするに、このまま病院で死を待てと言うことなんだな、と理解した。

だから私は何としてでも連れて帰ろうと思った。こんなところで死を待つなんてかわいそうだから。
話を聞いてくれそうな看護師さんに相談し、早速自宅看護の手続きを手早く進めていただいた。
そのおかげで、危篤状態から運ばれて1週間後に自宅に帰ってくることができた。

その後は1週間に1度、近くのお医者さまも来てくださった。訪問看護師さんにたくさんお世話になりながら、みごとに1か月生きて、そして亡くなっていった。
最後に会話したのは、退院して家についてベットに寝てもらった瞬間に父が言った言葉だ。
「今回は、(ほんとうに)ありがとう」
心から伝わる言葉だった。あの言葉は忘れられないし、親孝行出来たような気がして本当に後悔がない。
行動してよかったと思う。我ながらよくやったとも思う。
自宅で弱っていく父を看ながら、1か月かけて父の死を覚悟することができた。
支えて下さった医療従事者のみなさまには、いまでも感謝の念が消えることなく、いつもいつも涙がこみあげてくる、思い出す。

病院で死ぬのはまっぴらだ―。私も父の姿を見てそう心に誓っている。
いつかその時は、ゆっくり自宅で死を待ちたい。

*****

先日、とある動物番組で動物病院の救急外来の様子を目にしました。
重篤な状態のワンちゃんや猫ちゃんが次々に運ばれてきます。病院スタッフに年末年始もありません。
20分間、心臓マッサージを施してもなくなってしまった子がいました。
そういった緊迫したVTRを観ながら、私は子どもたちに言いました。

「生きているものは、いつか死ぬんだよ」
「これが普通なの」
「死んでいても、生きているときと同じワンちゃんだよ、怖がることはないの」

あるご家族が入院しているワンちゃんに会いにきます。しかし、あまり状態がよくありません。
すると1時間後、そのご家族が家に帰ろうと病院を出たその瞬間、
ワンちゃんの心臓がとまってしまいます。
先生は慌ててご家族を呼び戻しました。

あと数秒、待っていればというところでしたが、ご家族は見ているのが耐え難かったのでしょう。
ご家族は呆然として、言葉にならないご様子でした。

家族が病気になったら、
もし状態が悪かったら、
もしかして死んでしまうのではないか?
そんな風に心配で不安で、恐怖なのかもしれません。
なるべく見たくない(見ることができない)から、死に対して受け入れられないから、家族を入院させたほうが安心ということなのかもしれません。

犬も猫も人も、いつかは死にます。
しかし逝く人も生きる人も同じ人間であるということに変わりありません。ですから、同じ人間なのだから恐怖に感じることはないのです。
もし私が死んだとき、子供たちには生きていた人と同じように扱い、自然と受け入れてほしいと思っています。

死と生をわけて考えない。
そうすることで死に対する恐怖から解放することができると思います。
つまり、【人はいつか死ぬ】ということをちゃんと受け入れているかどうかなのです。
私はありがたいことに、父の看取りという経験によって人の死について学ばせてもらいました。
あのとき不安や恐怖といったすべてを受け入れてよかったと思っています。

いつか死ぬ。という当たり前のことですが、それを自分なりに受け入れている人はどのくらいいるでしょうか?
かくいう私も、まだまだ分かっていないのかもしれません。

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