現象としてのモダン・ポップカルチャー②
テーマ:ポップカルチャーの同質化?
アニメやアイドルやポップミュージックを見たり聴いたりしていて、あれ、これなんかに似てんな―、となった方は多いのではないだろうか。そう感じるのは皆さんの気のせいではなく、実際に似ているから、だと私は思う。現在ポップカルチャーに起こっている現象のいくつかが、その根拠となろう。
前回記事:
レジュメ代わりに(有料部分):
① Performing Anime - Anime-esque
あるアニメーションがアニメだと正しく認識されるためには、ただの画像の連続ではなく、「アニメらしい」作品になっていなければならない。
・物理的な位置 (e.g. 学校の席は窓側後方)
・話し方、言葉数
・表情
など、現実可能性はさておきアニメの世界では当たり前になっている「お約束」が数多く存在する。逆にこれらの「お約束」を満たすとき、その映像は純正なアニメだと認識されるのである。
上記のポイントのなかで特に興味深いのは表情である。嬉しい笑い、悲しさを内包した笑い、狂気的な笑い、不気味な笑い、、、我々はそれらを見たとき瞬時にその笑い顔のニュアンスを認識する事が出来る。これはキャラクターごとに笑い顔が設定されているのではなく、全てのアニメキャラクターにい共通した表情の作り方が存在していることを示唆する。
これはアニメだけでなく伝統文化や我々の日常生活にも起こる現象だが、ポップカルチャーの中でも起こっている事だ、というのは重要な指摘であろう。
② ポップミュージックの同質化
端的に言えば、音楽は次第に同質化している。
あるスペインの研究者は、"Million Song Dataset" の分析を通して、1995年から2010年にかけてコードとメロディーの変化の多様性が減少していることを発見した。
アルゴリズムによりどんな曲が売れるのかを分析することは容易であるから、どんな曲を作るべきか作曲かが迷うことも無い。
そもそも、ヒット曲の多くが同じ作曲家達によって作られているので似るのは当たり前なのだ。例えば、2015年夏のアメリカのヒットチャートの上位10曲のうち4局は同じプロダクションで制作されていた(Nathaniel, 2015)。そして年間を通して、チャートのトップ10に入ったほとんどの曲はたった4人のプロデューサーによって作られていた。
恵まれた才能や個性を持って発掘されたシンガーたちは、契約後は無個性な曲を歌う操り人形、もしくは広告塔へと変えられてしまう訳である。
つまり、現在のポップミュージックは、同じプロデューサー達が商業的に成功する曲達をコンピューターのアルゴリズムで探し、実際にはそれほど違わないそれらを「個性的な」アーティストに歌わせることによって「個性」を演出している世界なのだ。
日本の音楽はどうだろうか?
因みに、私にポップミュージックの消費者(や、生産者さえも)を責めるつもりは無い。同質化という現象をだれかが引き起こすべくして起こしたのではなく、制度化?(institutionalized)された傾向だととらえているからだ。
、、、
以上二点が、pop cultureの同質化の根拠のうち、私が興味深いの感じたものだ。
もっとも、良いモノの良い所を真似て人類が発展してきたという意味では、この現象は何も最近のトレンドという訳では無い。ただ、そうして作られてきた新しい物達には多分なオリジナリティが含まれていることも忘れてはならない。ただの有りものの継ぎ接ぎが市場に蔓延したとき、文化的な発展は止まってしまうし、それには警笛を鳴らさなければならない。
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