ファッション・イン・ジャパン展を見てきた①
東京の乃木坂にある国立新美術館のファッション展に行ってきました。
1945-2020の日本のファッションの遍歴を追う展示会で、250体ものマネキン、映像も含めたら500以上の服が並ぶ展示会。
ファッション。服とは、歴史・環境とは切り離すことはできないものだ、と痛感した。それと同じくらい、哲学もファッションにとって核を成すものだとも。
デザイナー達はただ、服を作ってるわけじゃない。強くて深い哲学のもとに作っているのだ、と伝わってきた。
感じるものが沢山あったので、何回かに分けて感想を記したい。
オシャレさんには裁縫が必須だった時代があった
裁縫って得意ですか?私はめちゃくちゃ苦手です。
ボタンが曲がってついてる
玉留めが下手っぴでろくろっくびみたいになってる
不揃いの縫い目が丸見え
そんな私でも、今の時代はオシャレもできる。けれど、1950代はそうも行かなかった。
洋服が売っていなかったから。
物で溢れかえる現代と違い、当時はとにかく物がなかった。洋服もないし、服を作る生地もなかった。
洋服を着たい女性たちは、手持ちの着物の生地を使って服を作ったそうです。
型紙がついてるファッション雑誌が売れていた時代
服を作るための型がついてるファッション雑誌が飛ぶように売れたとか。
時代が違えば、売れるものが違うのだな、と当たり前のことを実感。オシャレに興味があろうと、裁縫道具や洋服の型が付属する雑誌なんて、私なら絶対に買わない。買ったところで猫に小判です。
どうやら1950年代は、裁縫上手じゃないと、洋服ファッションは楽しめなかったらしい。
戦前は多くの人が普段着として着物を着ていた。一部の人だけが洋服を誂えることができた。
洋服と着物の立ち位置が逆転した現代
2020年代の今、それが逆転している。
戦前:普段着の着物、特別な時の洋服(または一生着れない人もいる)
現代:普段着は洋服、着物は特別な時(または一生着ないことも?)
敗戦したからと言って、着る衣服までガラッと変える必要はなかった。けれど、日本はそう変化してきた。
着るものが変わることで、精神が変わり、経済がかわったのだろうか。
全然戦前の生活が良いとは思えないけど、日本の良かったものまで失くしてしまったのではないかと、とも思う。精神面まで植民地化されてしまったのでは、と。
学校給食にはパンが出るようになり、着物ではなく洋服を着るようになり。
何が良いのか悪いのか、なんてわからない。古い時代の良さもあれば、現代の良さもある。
経済が発展したことで、洋服も販売されるようになり、安価にもなった。
裁縫が破滅的に苦手な私でも、洒落た服を買って、着ることができる現代はありがたい。
各時代の服を眺めていると、当時の景色が目に浮かぶかのような。一つのものに焦点を置いて歴史を辿るのは非常に面白い。
以前、砂糖の歴史に焦点が置かれた本を読んだ時も面白かった。※「砂糖の世界史」
何事も歴史を追うのは面白い。オシャレ好きなら尚更、ファッションの歴史は面白いはず。
新国立美術館のファッション展、おすすめです。
つづき:感想②はこちら。
既製服を着る上で大事なことに気がついた話です↓
出典: