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「天気の子」の解説を、さらに解説してみました。笑

この記事、とても面白いです。

 
天気の子を見た後に、友人に興奮しながら、
 
この映画はさ、
 
「社会がどう思うか、他人がどう思うかではなくて、

自分がどう生きるか。

自分の魂の願いを、自分をしあわせにすることが大切だ

ってことを伝えてるんだよ!!

そして、それは何のためかというと、

本当の意味で皆でしあわせになるため!!

なんだよ!!」

と熱弁したのですが、その通りでした。笑

めちゃくちゃ良い映画で、それこそ違和感や反発を感じる人は多いだろうと思いつつ、
この映画がイイ!と言われていることに希望を見出したりしてました。

この記事とてもわかりやすくて良いのですが、一般的に心理学を知らない方にとってはかなり難しい文章だと思うので、自分なりに解説してみました。

※Facebookの投稿がなかなか好評だったのですが、そちらより、詳しく書いていますので、よろしければお読みください^^

そのFacebook投稿↓↓↓

https://www.facebook.com/100004768710200/posts/1330994137069531?sfns=mo


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「超自我」というのはかなりざっくりと言えば社会性と言ったところです。

私たちは自然の中にいるときに”自分”という意識を持ちません。
けれど、そこに誰かが現れた瞬間に、他者から見た”自分”という意識を持ちます。
これがエゴとか自我と呼ばれるもの。

そしてこの自我は、幼少期の依存ステージで傷つくこと(ハートブレイク)があると、「もう傷つきたくない」と思い自分を否定し、自分はダメで不十分だと思い、ちっぽけな存在として扱うようになる。(成長の段階で全ての人が通ります)

そうして、もう傷つきたくないが故に”自分自身を疑い、信頼”しなくなる。安心安全な指標、同化できる対象を求めるようになる。その対象は”権威”とか”正しさ”とか”特別意識(自分は特別な存在だ)”。
これらは全て、感じたくない感情(痛み、惨めさ、劣等感、自信のなさ、失敗感、不十分感等)
から目をそらし、そのぐらついた自己像を補強するために必要とする。

悪い超自我というのは、”自分”というものが成立せず、「人から批判されない、排除されない、攻撃されない」という安全性を求めるが故、よくない形で取り込んでしまう超自我のこと。
そして、本当の意味で個々が輝き、共創して、しあわせになれる社会につながるものではない。
異分子は排除されるような、恐れや不安ベースつまり、欠乏から成り立つ超自我のこと。

良い超自我というのはその逆で、”自分”がまずあり、自分自身や自分自身の感覚を信頼し、自分の幸せは自分で作れるというプラスの前提がある。その上で、皆を幸せにするという、”満たされた”上に成り立つ超自我。
なので良い超自我を取り込む=”自分が幸せになる”と”皆が幸せになる”を一致させていく働きをする。
皆でしあわせになるために、自分をしあわせにするの世界。
”自分も含めたみんなで幸せになる”という世界。

今の社会は、自分を殺して皆をしあわせにするが是とされている(他人軸)の世の中なので、自分をしあわせにする(自分軸)ことが、とても甘えているように、けしからんことのように思われるけれど、
全くの逆。

帆高はこの悪い超自我との癒着を切り離し、不完全な自分を許し、信じ、悪い超自我から脱却するというストーリー。
そしてその後、ちゃんと社会的な責任を取った上で(良い超自我を取り入れて)、成長し陽菜の元へ帰る。

陽菜の場合は、自分を犠牲にして、たった一人で全てを抱え込んで、世界をも背負うという「私が一人で頑張るしかない」という誰にも頼らないと言う超自立のステージから、帆高を信じ、頼り、受け入れていく、こちらもまた不完全な自分を許し、自分を信じ、自分を大切にしていくという『自立のステージから相互依存(共同創造)のステージに行く』際の、”切り捨てた弱さ”を取り戻していくという段階を描いている。

どちらにも共通しているのが、
『何者かになるのではなく、自分としてしあわせになる』
なぜかというと、『本当の意味で皆でしあわせになるため』
そしてその自分としての幸せを叶えていく中で
『そのままの自分としてのお互いを受け入れる関係性』が出来上がる。

繋がりがあり、愛があり、絆がある、形や形式(家族や立場)は関係なく、取り替えのきかない、かけがえのない個と個として、良いところも悪いところもひっくるめた上での、幸せで豊かで確かなつながりのある関係性。

それが、この天気の子でも、万引き家族(これも見ました)でも、社会的秩序の外にそれを作り『法外のシンクロ』というのをテーマにしている。

きっと『法外』にした方がコントラストが際立ちインパクトが強いというのと、それほど、今の社会が” 自分として生きづらい ”世の中だと言うことだろう。


個人個人がしあわせではない状態の上に、社会の幸せがあっても、それは良い社会ではない。
今までは「自分はダメだ」「自分は不十分だ」「自分は間違っている」というエゴの幻想に囚われているが故に、誰にも批判、非難されたくないが故に、個人を押し殺して、超自我を優先する、つまり『悪い超自我』と同一化する時代だった。

これからは、「それでも私たちは素晴らしい」「そして善い存在だ」という自分たちの中に確かにある光の部分を信頼しフォーカスし、進んでいく時代。

本当に取りこぼさない社会にするのであれば、個々も、全体もしあわせにする。
今まさに私たちはそういうチャレンジを始めている。

ここから先は映画には書いてなくて、主人公ふたりはそれこそ感覚的に自分の魂の願いを選んだのだけど、私たちがこんな風に生きられるようになるために必要なのはマインドの切り替え。

・自分の中のどんな自分も愛し(多様性を受け入れる)
・感情的な成熟さを持ち(感情を全て引き受けることで自分自身をクリアにし、フラットでいれる強さ)
・すでに” 素晴らしい ”” ある ”” できる ”” 満たされている ”と知っていく
・そして、本当の意味でつながり、そのままを受け入れあえ、そのままで活かしあえる、豊かなつながりを作っていく

これができるようになること。

この記事にも書いてありますが、

これからの人生、
「どう舵取りしますか?」
「どう生きますか?」

というのを問うている映画ですね^^


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