”自分”の思うことは”自分”のせい ”相手”の思うことは”相手”のせい
今日は一度ブログを書いたのですが、
昨日降りてきたことですごい良いなと思ったのですが、
頭の中が整理されておらず、
難航を極めたため、方向転換しますっ。笑
昨日『自分のために許す』というブログを書きました。
自分を幸せにするために、誰かを許しましょうというお話でした。
誰かを許せてない時は、
その人次第というところがとても多くなります。
その人が自分の上に厄介者として乗っているような状態。
その人と自分がくっついている状態になります。
だからとても不自由なのです。
同じ不自由で誰かとくっついている状態というのが
誰かにどう思われるかを気にして
本来の自分が思っていることより、人を優先する行動をする場合。
要は犠牲してしまっている状態。
これもまたとても不自由です。
許せていないときは、
”自分”が思うことを”相手”のせいにしている”
犠牲している時は
”相手”が思うことを”自分”のせいにしている”
正しい形は
”自分”の思うことは”自分”のせい
”相手”の思うことは”相手”のせい
許せない時も、犠牲する時も、
心理用語で”癒着”していると表現します。
くっついてしまっているわけです。
自分が何をしたとしても、
相手がどう感じるかは相手の問題で相手の責任。
相手が何をしたとしても、
自分がどう感じるかは自分の問題で自分の責任。
そうやって”癒着”を切り離すことを
『課題の分離』
と言います。
あるお母さんが「子供の成績が上がらないので困っているんです」と相談に来る。
成績が上がらないことで最終的に人生で困るのは誰か。
その結果を引き受けるのは誰か。
子供ですよね。
お母さんは自分が恥ずかしいということがあったとしても、
それはまた別の問題。
「子供の成績が上がらないことで、私の心が穏やかじゃないんです」
というなら、相談としてはオッケーなんです。
でも、子供の問題を自分がどうにかできると思ってしまっていること
この心理状態を、癒着と言います。
うちの母はまさにこれでした。
私からしたら「頭悪くて困るのは私なんだからほっといてくれ」です。笑
心配はすると思いますよ。それは問題ないんです。
でも、自分の心中が穏やかじゃないから、”子供を変えようとする”
これが問題です。
”あの人の機嫌が悪くなるから”or”あの人が悲しむから"、本心じゃないけど従っておこう。
相手の機嫌が悪くなるから、あの人が悲しむから、”自分を変えてしまった”
これも同じです。
あの人のこころ模様はあの人の問題であり、責任です。
私のせいじゃないし、私は私の思うようにやるのが正解。
これが正常でヘルシーな行動です。
でもこれ、やってしまいがちじゃありませんか?
私はよくありました。
今でもたまにやっちゃいそうになりますが、
ぐっとこらえてやりません。笑
おかげで嫌われることも多いです。笑
注 : もちろんわがまま放題してもいいと言うことではありません。
でも、こうやって誰かのご機嫌取りをしていると、
後から怒りが爆発します。
そして、その結果が良くないものだった場合
『あの人のせいで!』となります。
でもその時はもう時間を巻き戻すことができません。
自分の人生を歩めなくなってしまいます。
誰かの感情に敏感なタイプで優しい人はこれをやってしまいがちです。
でも、誰しもが自分を大切にして良いし、
自分の人生を歩んでも良いんです。
機嫌が悪いのはその人の問題。
実際、その人しかどうにもできません。
そんな風に、誰かの幸せのためにちょっとでも自分を曲げてしまいがちな
優しいあなたに素敵な詩を送ります。
以前教えていただいたのですが、最近買った本に書いてありました。
紹介いたしますね。
* * * * * *
『ゲシュタルトの祈り』
私は私のために生きる。
あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に沿うためにこの世に生きているわけじゃない。
そして、あなたも私の期待に沿うためにこの世にいるわけじゃない。
私は私。
あなたはあなた。
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。
* * * * * *
おやすみなさい♪