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こだわりの奥にあるもの
「○○しなければならない」
「○○がどうしても気になる」
「〇〇あらねばならない」
「〇〇になるかもしれない」
私たちが何かに対してとてもこだわっている時
その奥には
△△したくない
△△になって欲しくない
△△であるべきだ
という強い思いがあります。
本当に受け入れているのであれば
○○になっても、ならなくても、どっちでもいい。
△△したって、しなくたって、素晴らしい
それでOKだよねってなってるはず。
それはつまり
『〇〇がどうなったとしても、
△△がどうなったとしても、
実際には、良いも悪いもない。
何がどうなっても、誰にも傷はついていない。』
という世界。
固執するということは、
こだわるということは、
『〇〇だった、△△してしまった』
イコール
“自分が傷ついた”
“誰かを傷つけた”
だから、
“自分が、誰かが傷つくかも”
の方程式(ビリーフ)があるのかもしれません。
そこではまだ
自分や、誰かが、悪者になっていて(加害者)
自分や、誰かが、弱き者になっている(被害者)
そこには罪悪感や、無価値感があり、
愛しかない世界にはたどりついてない。
それは真実ではありません。
誰も傷ついてない
誰も損なわれていない
みんな素晴らしく
みんな完璧に美しく
完全
全ては愛でしかない。
それが、それだけが、この世の真実 なのです。
あなたの持つその方程式は、
あなたを自由にしますか?
あなたをエンパワーメントしますか?
あなたを、わくわくさせますか?