そのきらめきの強さは、痛みに入っていくからこそわかる
最近、コミュニケーションでやらかしてしまいました( ´•̥̥̥ω•̥̥̥`)
(コミュニケーションや在り方を教えていても、やらかす事は普通にあります。その度に、無意識下の種を意識化に持ってきて修正です。笑)
そこから自分を見つめる中で、強いきらめきと出逢いました。
このきらめきにはいつも出逢います。
課題の奥には美しさがるのです。
そんなことをまとめました。
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大抵のミスコミュニケーションは自分の意識できていない反応(解消されていないビリーフ+感情に紐づいている自動的な反応)つまり反射的なコミュニケーションになってしまっている時に起こります。
今回のも、自動反応そのままに表現してしまったためにミスコミュニケーションになり、相手に嫌な想いをさせてしまいました。
通常であれば、課題の本質が意識化になかったとしても、自分や相手の言葉の選びや表現を見て「あ、誤解しているな」とか「この言い方はまずいぞ」と気づいて調整するのですが、今回は頭が痛くて体調が悪く、そして手の離せない状況の中という事で、めちゃくちゃに余裕がなく、気づいていたけれどうまく対応できずに、大喧嘩になりました。
相手もなかなかにコミュニケーションがわかっている方なのですが、よっぽど嫌だったのか、追い詰められたのか、溜まっていたのか笑、売り言葉に買い言葉というか、かなりきつい表現で返ってきたりして、久々に泥沼。笑
しかし、『全てのことは自分が起こしている』ので、そこからいつものごとく自分の内面と向き合い、どんなビリーフがあり、どんな感情を感じているのかの探索をスタート。
今回スイッチが入った時の感情を感じ続け、その裏にどんなビリーフがあるかを丁寧に見ていく。今回の痛みはほとんど手付かず(人は準備が整ってない時はどんなに感じたくてもその感情にアクセスできません。順序とタイミングがあるのです)だったので、まぁエグいエグい。笑
そこには見たくない事実もあれば、認めるのは辛すぎる事実もある。感じたくない痛みや受け入れられない感情もある。だからこそ、封印し、それが悪さをしてきたのです(癒されるために問題化してるだけなのですが)。
今回は私がいじめられていた、一番しんどかった時代に、家族ともうまくいかず、学校でも低学年、同級生関わらず聞こえるように悪口を言われ、笑われ、辱めを受けていたその時の情けない事実と痛み(惨めさ、屈辱、いたたまれなさ、情けなさ、憎しみ、怒り)が出てきてくれていました。
そして、この向き合い、感じる作業をしないと、その苦しさを引き出すワードや言い回しや出来事が起こった時に、過剰に反応して攻撃してしまう事を止められずに、延々と同じことを繰り返すのです。
でも、ちゃんと、解消したらその後からは幸せなコミュニケーションが取れるようになる♡
けれど、その手前はとてもキツいです。
見たくないものを見る。そして感じたくない気持ちを感じる。認めたくないことを認めるのだから。
でも、一方で、そこにはとても美しいストーリーがあります。
その時の辛さをきちんと味わい、認めるからこそ、その裏にあり続けていたきらめきの強さや美しさに気づく事ができるのです。
私は自分の人生の中でずっと”この”自分を責めてきました。
過剰に反応してしまう自分。
相手を傷つけてしまう自分。
やりたくないのに攻撃を止められない自分。
これらの自分を悪者にして、憎んできた。
そして、そんな自分を脱却するためにめちゃくちゃに努力してきました。
自分と向き合って、解消してきました。
たくさん否定されてきたのに、それでも人を愛したいと努力してきました。
その後ろにあったのはとてつもない痛みであり、苦しみ。
この痛みと苦しみを体験したからこそ、抱えきれずに封印し、そのせいで過剰に反応し続けてきた。
そして、そんな自分が嫌で、誰かを傷つけたくなくて、本当は愛したくて、大切にしたくてがんばってきた。
私たちが苦しむのは『本当は誰かを愛したい』から。
『本当は大切にしたい』から。
でも、それができないから、自分を責め、苦しむ。
そんな風に苦しむ事が、”愛そのもの”だと私は思います。
とても美しいと思います。
そしてその美しさに出会い、その輝きがいかに強いかに気づけるのは
そこにある認めたくない事実や、痛みを認め向き合うから。
その闇が深く濃いからこそ、その輝きの強さを知る事ができるのです。
そして、その輝きを見つけるからこそ、自分を愛おしく、「素敵だな」って誇りに思って、また笑顔になれるのです。
痛みがあったところに、許しと愛が入ってきて、次からは幸せにつながるコミュニケーションが取れるようになるのです。
皆で幸せになるために自分と向き合うことは、勇気が要りますが、自分の美しさと強さに出逢い、自分を理解し許し、そして、なにより次から本当にしたい関わりができるようになる、ギフトと愛がいっぱいの道のりなのです。