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私の道のり③

私はとにかく作ったり、実験したり、実習する人になりたかった。

そんなわけで、最初は農業改良普及員と実習助手の試験を受けていてあっさり落ちていた。
大学の時、卒業した先輩が勤務している高等養護学校の話を聞き、作業学習や生活単元学習が面白そうだとおもった記憶が蘇り、まず通信教育で養護学校の免許をとり、養護学校の教員を目指すことにした。(基礎免許は高校農業)

養護学校で様々な生徒の事例に触れ知識と経験を積んでお金を貯めて、退職後に農業系事業を開き、みんなが働ける場所、集まれる場所作りをするというのが人生の夢になった。



結婚、北海道へ、そして通信制大学生に。

現実は甘くない。夫は何故か受験2回目で教員採用試験に受かったが、その頃の競争倍率は10倍を超えていた。1年目は不合格。大学で免許を取得後は、農業高校の講師や、作業所のパート職員として過ごす。
4回目の試験。今度落ちたらもうチャレンジをやめようと思った年になんとか合格。何故か全体では1番倍率が高い年に受かった。支援学校の農業教員は珍しい職種なので、元々受検者が多くなく、毎年1人2人の合格者だった。
まずは支援学校高等部の教員として、初めての正職員人生を開始したのが28歳。遅い社会人デビューだった。
続く


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