見出し画像

コリスポンデンツァ ロマーナ

やっとたどり着いたそのアパートにはアリーチェがいた。22歳、北部のすごい田舎から出てきた奇天烈な女子で、ローマ大と、サンルイという音楽学校を並行してやっている。
これまでのローマでの生活では引っ越しを繰り返してきた。このアパートを10年前に去ったのは、ウサギを飼っていた女が檻をキッチンに置き始め、放っておかれたウサギが暴れてフンがキッチンに散らばるようになったからである。その女はイラリアと言った。そのため、イラリアとは嫌な名前だと今でも思う。
そして今はアリーチェがいる。奇天烈な自分をとても愛している。二つの学校で全く違う事を学んでいる自分にほれぼれしているようだ。クレイジーでアーティスティックな自分に。友達も沢山いる。とても明るい性格だから。けれど、テーブルに何を落としても吹かないし、汚い手でそこら中触るので冷蔵庫の取っ手は毎日拭いても毎日汚れているし、彼女の戸棚の下にある椅子にはしょっちゅうカカオが落ちているし、ドアを後ろ手に足で蹴って閉めるので、いつもうるさいし、2回ほどドアが閉まっていなかったことがある(自身は寝ていて、廊下に彼女の私物が廊下に落ちていた、とその後で帰ってきたアレッサンドラが言った)。ローマでドアが開けっぱなしと言うのは極めて危険なことである。歯磨き粉の蓋を閉めることもできないし、シャンプーが空になっても容器を捨てることが出来ず、入居してすぐの頃、それがいくつも足元に並んでいた。アパートには冷蔵庫とトイレが二つあり、私はどちらもこのアリーチェと共有しなければならないため、余計に迷惑をこうむる。ある時、数日続けてトイレの蛇口の取っ手に泡が乾いたような汚れがついていたことがあった。あの性格だから、歯磨きの後唾を吐いてそのままにした可能性がある。ここまでのレベルだと直してもらう必要があるので、「トイレの蛇口の汚れなんだけど、つば吐いてないよね」と尋ねると、どうして私が、みたいな驚いた顔をして「そんな訳ないじゃない、多分泡のついた手で触ったのよ」と言った(いつも多分、と彼女は言う)。言い始めたついでに全部言うことにした。「トイレのシンクにいつも歯磨き粉が落ちている(いつもつけ過ぎなのである)のもゆすいでほしい。そして、オーブンの中に汚れたフライパンとお皿が突っ込んであったけど、料理するところに汚れ物入れるのやめてほしい。先日ドアが開いていた。きちんと閉めてほしい」、もちろんこれで終わらないけれど、これくらいにしておいた。すると、「オーブンに入れたのはそこらへんに置いたらみんなの邪魔になると思ったからよ、ドアはきちんと閉めてる。機械じゃないんだから、すべて完璧にできる訳じゃない、一人一人やり方があるわ」と口答えされた。どうしていつも迷惑をこうむる側が注意すると、それこそが意地悪みたいになってしまうのだろう。だからアレッサンドラは何も言わない。この後、アリーチェは怒り心頭と言う感じで、深夜12時を過ぎてもドアをバタバタ開け閉めして、住人に迷惑をかけていた(私は幸い、彼女の部屋から一番離れた部屋に住んでいる)。この御仁との暮らしは、少しだけアルツハイマーの老人との暮らしと似ている。汚い手でそこら辺を触ってしまうとか、さっきまで持っていた包丁がどこか分からなくて探していると、最終的に冷蔵庫の中に見つかるとか、鍵がみつからないとか。アレッサンドラは女性デーに玄関にバラとミモザを飾っていたのだけれど、玄関に置くのはもったいないぐらいきれいだったのでキッチンに置こうと提案すると、「アリーチェがいるから無理、落とされちゃうかもしれないから」と言った。実際この家で何度グラスを割ったか分からないという事だった。頭上にある戸棚に適当にグラスをしまって、次に開けた時に全部落ちてきたとか。ある種の障害があるのかもしれない。こういう所はウサギのイラリアとそっくりだとアレッサンドラが言っていた。けれど、色々注意した私がいる前ではきちんとテーブルを拭いたり、一応シンクに毎日歯磨き粉を落とさなくなったし、彼女は人を見て、利用できる人間は利用するタイプなんだと思う。親が何でもやってきたのだろう、だから何もかもが面倒くさい。買い物さえオンラインでやっている。いつもではないが。きちんと機能していないんだからと公共交通機関をいつもタダ乗りしているし、不正に何でも高いと言ってスーパーでは量り売りの果物を他の安い果物に設定してバーコードを出してお金をきちんと払わないなど、ずるいことばかりしている。バカな人間と頭が良くて悪い人間は同じ事をするが、結局どちらなのか、はっきり見極めがつかないままである。
今月いっぱいでこのアパートともさよなら。二度とアリーチェと話すこともないだろう。こんなレベルの人間と関わらなくてもいいように努力して生きていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?