市民活動とどういうきっかけで関わるようになったのか その1
50代になる前、私は市民活動団体として活動するゴスペルサークルに加入しました。自分にとって、“先生が主催する団体”とか“市民活動団体”とかその形態をほとんど意識することなく、「ただ歌うことが楽しい」という意味合いだけで音楽活動を楽しんでいました。
日常の活動は月2回練習、年に4~6回程度のイベントに参加しました。高齢者施設を訪問して歌を一緒に楽しみました。「リレー・フォー・ライフ」というがん患者を支援するイベントや障害者週間のイベント、街の音楽イベントなどに参加しました。当初は学生時代のサークルの練習試合のように先生や先輩がここに行くぞと言われたから行くみたいなノリでその意味合いなど全く考えていませんでした。
私は会社員人生の終盤を迎え、会社員という立場に面白さや醍醐味をほとんど感じませんでした。そんなこともあり「自分で何かをしたい!」と思い、小麦粉をこねくり回してパンを焼いてみました。パン教室をやりたいと試みましたが、実現はしませんでした。ほぼ同時期、靴磨きにチャレンジしました。
自由大学(当時は表参道)の靴磨き講座に通いました。プロの職人さんが使うような道具を揃え、すごく面白みを感じながら取り組みました。ゴスペルのメンバーに声をかけ、男女問わず、靴磨きをたくさんやらせていただきました。靴磨き前後に靴の写真を撮ったことから私のiPhoneのアルバムには一時期靴の写真がずらっと図鑑のように並んでいた時期もあります。
ちょうどゴスペルサークルの運営リーダーがさいたま市の市民活動団体の活動の場を設けること、人と団体をマッチングしながら市民活動を支援する仕事をしていました。そんなこともあり、私の靴磨きに関しても環境センターで自分が講師として「靴磨き講座」をさいたま市の企画イベントとして複数回開催してもらいました。提携する企業のイベントにも紹介してもらう機会がありました。また市内の公民館よりオファーがあり、公民館企画として講座を開催することもできました。
環境センターの年一回の全体イベントの準備段階で、就労継続支援B型事業所を主宰する方と知り合いになりました。その方にもう少しいろいろなお話しを伺いたいと思い、アポを取り、ざっくばらんに話しをしました。自分が靴磨きをやっていると話したところ、「ちょうどウチの利用者さんの仕事として、靴磨きを考えている」という話題になりました。そんなことがきっかけで、そのB型事業所で利用者さんを対象に靴磨き教室を複数回開催しました。ちょうどコロナ禍となり、なかなか進みませんでしたが、私が学んだことがこうして活かされるチャンスがあると実感しました。
一時期、靴磨きを仕事、副業にしたいと考えましたが、どうやってお客さんを継続して見つけるのか、そこがよくわかりませんでした。また鏡面磨きまで丁寧に行なうと一足1時間弱、単価を考えると一日でどの位の収益になるのだろうかと考えました。その時期、子どもが複数、大学に通っていたこともあり、それ以上、靴磨きを仕事にと踏み切ることができませんでした。靴磨きを辞めようとは思いませんでしたが、そこから先は進まなくなったのも事実です。
つづく