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国内初「エゾシカ対策用電気柵」誕生秘話(前編)

1985年創業当時、エゾシカによる北海道の農作物の被害額は約1億円と言われていました。
現在(約40億円)と比べるとまだ軽い方だと感じられるかもしれませんが、1980年代といえば、メスジカの狩猟禁止などの鳥獣保護政策が先立ち、シカの個体数が急激に増加し始めていたころ。
農業に携わる人たちが段々と、危機意識を持つようになっていました。

放牧用の電気柵の販売営業に回っていた私も、もちろん例外ではありません。エゾシカ被害は生産者さんの経営、生活に大きく影響します。被害防止のために、私ができることといえば……


ここで思いつきました。電気柵だ。

シカが農場に入れないように、電気柵で囲ってしまえばいいんだ


シカ用電気柵、実用化への挑戦

当時の日本では、電気柵といえば放牧の牛用、というイメージが根付いていました。つまり、張りがゆるく、牛が逃げない程度の電圧を流し込むものだと。
ですから、屈強で脚力もある野生のエゾシカには到底効きっこない。みんなそう思っていました。

しかし、私が販売し始めていたNZの電気柵本器のパワーは、日本のもののおよそ10倍。これだけの出力があれば、従来の電気柵のイメージを覆し、きちんと農場を守ってくれるに違いありません。
さっそくシカ用電気柵の実用化に踏み切ることにしました。

そうと決まれば営業です。網走の機械センターへ行き、「画期的な電気柵がある」と説明して、試験導入に協力してもらえるよう頼みこみ、なんとかOKをいただきました。


初めの試験場は、置戸町のビート畑です。地元の農協立ち会いのもと、畑の周囲に電気柵を張り巡らせ、しっかりと電圧をかけて、準備万端。

 

 


しかし結果は、大失敗でした。

 

電気柵を設置して少し経ったある朝、担当者からけたたましく電話がかかってきたのです。
「大変だ、柵がまったく効かなかった。すぐに来なさい」

 

慌ててあのビート畑へ向かいました。するとなんということでしょう、ビートが植えられていたはずの畑が、ぐちゃぐちゃに荒らされているではありませんか!

ビートを栽培する際には、まず筒状の容器に土と種を入れて苗床をつくり、ビニールハウス内で育苗して、春先にその筒ごと畑に植えるという手法がとられます。
その筒が、片っ端から引っこ抜かれてしまっているのです。

「ほらここ、しっかり見て」と言われ確認すると、そこにはエゾシカの足跡がたくさんついていました。シカが電気柵の手前で踏み切り、畑の中に着地したと思われる跡もくっきり残っています。
つまり、柵は軽々と飛び越えられてしまったわけです。

担当者の方や畑の管理者の方からはたいへんお叱りを受け、私も返す言葉がありませんでした。せっかく信じて任せていただいたのに、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

私が設置した柵の高さは1mでした。牛用であればこれで十分ですが、跳躍に長けたシカには太刀打ちできません。
今思えば簡単な話ですが、当時の私は、踏み荒らされた畑を見てやっとその不備に気が付いたのです。

 

ただでは起きない

それから私は、必死に柵の改良案を調べ、考えました。
まだインターネットも発達していなかった時代ですから、頼れるのは紙の文献・論文だけ。

ここで私にヒントをくれたのは、またもやNZの知恵でした。

実はその頃、NZでは養鹿業が盛んになり始めていました。他の家畜と同じように牧場でシカが飼育され、他の家畜と同じように食肉に加工されて、他国へ輸出されるのです。

ということは当然、飼っているシカの移動をコントロールするために、柵が使われているということです。このときの電気柵の規格は、『1.5mの高さで、ワイヤーが5段張り』であるという旨が記載されていました。

今度こそ「これだ!」と思いました。
そうと決まれば営業です。

 

今度は足寄の畑で試験設置をさせていただけることになりました。会社を立ち上げたばかりで、しかも大失敗した前歴もある若造の提案を、よく受け入れてくださったものです。

文献の通りに、電気柵の高さは1.5mに設定。そのためのポールも用意しました。
ワイヤーはテープ状のもの(日本初)を使用し、本来であれば5段張りのところを、初めからその段数を組もうとするとかなりの費用がかかるという理由から、3段張りにとどめました。

これでも十分な効果が期待できるはず……

 

 


結果は、大成功でした。

 

急速な普及、ほんのちょっとの秘策

 1987年、エゾシカ対策用電気柵はいくつかの改良を経て完成しました。

 しばらく色々なメディアからの問い合わせの電話が殺到し、対応に追われました。それほど皆が田畑の被害に悩まされ、解決策を求めていたということなのでしょう。

同時に、「シカ柵を売ってくれ」という注文も、もちろん殺到しました。
とある農協さんからの注文では、FAX用紙を1ロールまるまる使い切ってしまったほどです。

まだ社員が2、3人しかいなかった頃なので日々の業務に忙殺され、かなり大変でしたが、柵はあっという間に道東を中心に普及し、NHKの全国ニュースに取り上げられるまでに至りました。


ここまでシカ柵の普及が進んだのには、理由があります。先ほど「いくつかの改良を経て」と書きましたが、そこがミソだったように思います。

シカ柵を売り始める以前の電気柵の販売は、まず私自らが農場を訪ねて、必要な資材の量を見積り、別日に資材を運んできて設置指導をするという方法で行っていました。

しかしこの方法は、注文が増えたとたんに回らなくなります。
見積りと納品を全てオーダーメイドでやり続けるのには限界がありますし、一軒一軒指導に出向いていたら日が暮れてしまいますからね。

そこで小社では、シカ柵を商品化する際に「シカ用電気柵〇〇町歩(ha)セット」という形でリリースすることに決めました。
つまり、柵を張りたい場所の面積さえ伝えてもらえば、それに応じた量の資材をすぐに納品できるという仕組みをまず整えたのです。

また、設置指導に直接行けないデメリットをカバーするため、私自身が説明しながら柵を張っている動画ビデオテープに撮り、それもセットに同梱しました。
施工に関わる資材をセットで売るということも、商品に動画を付けるということも、当時ではかなり珍しかったのではないかと思います。
冒頭にも書いたように、これは1980年代後半の出来事です。

 

もう一つの大きな工夫は、電気柵の本器(電気牧柵機)に、シカのシールを貼ったことです。

「それだけのこと?」と思われたでしょう。
しかし、このたったひと工夫が、前述したような「電気柵=牛用で貧弱」という従来のイメージを覆し、電気柵の信用を取り戻すのに大いに役立ったように思います。

どれだけメディアに取り上げられようが、パッケージが従来のままであれば、生産者さんからはおそらく門前払いをくらっていたことでしょう。
ある種のイメージ戦略というわけです。


後編では、シカ柵を通じて私たちがどう社会に貢献できるのか、ということを中心にお話しします。


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