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「いせ辰」版ちりめん本
[ギューリック師] 『私の日本語』 明治28年 東京:廣瀬せい刊
[Gullick, Sidney Lewis, 1860-1945], My Japanese. A Topical Songs of Japan, Words and Music by S.L.G. Tokyo, Sei Hirose, 1895.
First Edition. 8vo (16.5x21cm), [10] leaves, crepe paper fully illustrated with color prints
reserved/取り置き中
長谷川武次郎・弘文社によって発行されたちりめん本とは、江戸時代以来の美しい木版挿絵と欧文活字の物語を印刷した和紙を圧縮してクレープ状に加工して仕上げた和装本のことです。B. H. チェンバレンやR.ハーンといった明治期のお雇い外国人らによる昔話の欧文訳も相まって、読み物としても優れた工芸品としても評価され、明治期に来日した外国人にお土産として非常に珍重されていました。
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ただ、ちりめん本自体は決して長谷川武次郎の独占物であったわけではなく、日本の風物を紹介した秋山愛三郎、関西地方で日本昔話を翻訳した松室八千三らによっても発行されていました。また明治の写真家であった小川一真も写真帳「吉原:不夜城」をちりめん紙を用いて発行していました。
ここで紹介するちりめん本「私の日本語」は、江戸時代末期に創業し、現在でも千代紙の製造販売を行っている老舗企業いせ辰によって発行された一冊です。
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本書には著者の表記がタイトルページにS.L.Gとあるだけで詳細は不明ですが、これは滞日20年以上の著名なアメリカ人宣教師ギューリック師(Sideny L. Gulick)ではないかと推測されています。彼は、アメリカの日本人移民排斥の問題に取り組み、「排日移民法」の改正と日本に対するアメリカ世論の啓蒙に尽力した人物として知られています。
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なお、本書には当時上海にて東アジア地域を中心に英文書籍の発行と販売を行っていたKelly & Walshの表記のある版も存在しています。このKelly & Walshは長谷川武次郎もちりめん本の輸出のために代理店として利用していた書店でした。また「私の日本語」と同時期に、長谷川弘文社よりやはり楽譜付きで趣向が類似したちりめん本「小花三」(廣瀬せいの親族と思われる廣瀬安七が発行)が発行されており、いせ辰と長谷川弘文社の間でちりめん本を通した協力関係が窺われますが、両者の接点や協力関係については現時点では確定的なことは解っておりません。
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作者は誰か、長谷川との協力関係はあったのか、またちりめん本の輸出・流通ルートなど、まだ研究の余地の多い一冊と言えます。
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