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オランダの東アジアへの関心
リンスホーテン 『旅行記三部作:東方案内記、アフリカ・アメリカ地誌、ポルトガル人東方旅行記』 リプリント版 全5巻 1910-1939年 デン・ハーグ刊:リンスホーテン協会
Linschoten, Jan Huygen van, Itinerario, voyage ofte Schipvaert van Jan Huygen van Linschoten, Naer Oost ofte Portugaels Indien 1579 – 1592. 5 vols set. 1910-1939, S-Gravenhage, Martinus Nijhoff, Linschoten-Vereeniging <R23-144>
8vo, 5 vols. L,238,[2], VI,266,[1], XXXIV,337, LXXX,[1],144, - 446 pp. [14] b./w. text-ills, [2] b./w. portraits, [10] b./w. maps (incl. 6 loose large fold. maps in rear pockets), [1] fold. b./w. plan & [9] plts plts. Orig. uniform blind stamped blue cloth, lettered gilt to spines, gilt vignette to upper boards. - Vol. 3 with ex-libris
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オランダ出身の旅行家であったリンスホーテンが赴任地のインドのゴアから帰国した後に書き上げた旅行記三部作、本書はデン・ハーグのリンスホーテン協会から刊行されたリプリント版です。彼の著作は、ポルトガルやスペインと比して後発国であったオランダが海洋進出を拡大するうえで決定的な役割を果たすことになりました。
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とりわけ「東方案内記」はオランダの東インド・アジア地域、ヤパン島(日本)への進出のきっかけを作った書籍であるとともに、ヨーロッパ各国語にも翻訳され広くアジア知識を普及させる書籍として読まれました。
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日本について「東方案内記」第26章で独自の章立てを設けて紹介していますが、リンスホーテン自身はゴアから東へは旅行しておらず、もちろん日本に訪れたこともありませんでした。彼が「東方案内記」を書き上げるのに参考にしたのはヨーロッパとアジアの中継地点であったゴアに集まる、宣教師などによりもたらされた情報でした。
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リンスホーテンが唯一直接的に日本に接触できる機会を得たのが、ゴアに立ち寄った天正遣欧使節団であったといわれています。リンスホーテンは実際に使節団とも対面したといわれており、これが日本について著述するきっかけとなったと言われています。
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なおこのリンスホーテンの「東方案内記」ですが、第48章においてインドの魚食事文化について解説した章でカレーライスの説明があるため、ヨーロッパにカレーライスを紹介した最初期の書籍ともいわれています。
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