無人島読書 vol.4 ~わが息子よ、君はどう生きるか~
無人島生活、85日目。
ずいぶんと肌寒くなってこの1、2週間で落葉がすすみ、乾いた風が吹くようになった。
秋が来た。
夏の終わり、秋の始まりを感じさせる金木犀の香りはこの島にはなく、代わりに日々色づいていく柿が、秋の訪れを知らせてくれている。
100日、なんとなく決めた100日という日数も、気がつけば終わりが近づいてきた。
この島にきて100日を過ごして、ぼくは一体なにを手に入れたかったんだろうか。
サバイバルや冒険というよりも、隠居生活と呼んだ方が適するであろうこの日々で、ぼくは一体なにと出会い、なにを感じたのだろう。
この100日間を肯定するために、無理矢理にでもこの日々に意味づけをすることはできるだろう。自分の投資した時間が価値のあるものだったと、そう思いたいからね。
けれど、無理に意味づけをすることもできるだろうけど、あえて、そうしないままで。
あぁ、100日が過ぎたなぁ、と。
ただそれだけに留めるのも悪くないかもしれないな、と、そう最近は思ったりもしている。
とりあえず、とりあえずは書こうと思っていたエッセイを書き上げることにしよう。
そんな心持ちで、今日は4冊目の本を紹介したいと思う。
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この本との出会いは高校生の時。
何年生だったかは覚えていないが、父親が読んでみろと渡してくれた本だ。
だがしかし、高校生の間に読むことはなく、初めて本を開いたのは大学に入ってからだと記憶している。
たしか、右膝の手術で入院していた頃か。
本には、蛍光ペンで何箇所にも線を引いた跡が残っている。この習慣は受験勉強の名残のはず。だとすれば、大学1年夏休みの入院期間が当てはまる。
なつかしいな。同室になった高校生や中学生、小学生の子らを引き連れて、夜の病院を車椅子で探検したりしたっけな。
お気に入りの看護師は誰だとか、夜更けまでおしゃべりしてたっけ。
まぁともかく、そんな時に読んだ本だ。
ジャンルとしては、自己啓発的な分類の本になるだろう。
18世紀のイギリスの政治家であり文人のフィリップ・チェスターフィールド。
彼が息子へと送った手紙を編集した、「letters to his son」の日本語訳本だ。
彼が学問ではなく政治の舞台の人であったためか、本の内容も学術的なことは書かれておらず、生きた知恵や処世術といった、人間智と愛に基づいた、次の世代へのアドバイスに溢れている。
論理として正しい正しくないという枠を超え、人と人との付き合いのうえで自分を貶めることなく、他人を不快にさせることなく、教養と愛に満ち、聡く、謙虚な人間であれ。と。
そのためにはなにに気をつけるべきか、なにに時間を使うべきか、なにをしないべきか。そのようなことを自身の体験談を通じて教えてくれている。
この本はキレイごとばかり書かれていないのがいい。
神話的な教義的な万能智。全ての人間が救われるとか、幸福になれるとか、そういった類の、理想的世界を本の中だけで語る代物とは違う。
きわめて現実的に、人の弱さや醜さにも切り込み、警鐘をならす。
自身の失敗談も含めながら、世にある愚かな存在を認め、それとも共存しながらそのなかで立派な人物になれと、本を通じて伝えてくる。
3世紀も前の本だが、まったく時代の古さを感じさせないで、現代でもきわめて役に立つ、処世術や心構えが説かれている。
そしてその伝え方が、またいい。
やはり父から息子に送られた手紙だからだろうか。言葉づかいのひとつひとつに愛を感じるのだ。
稀に、あたかも自分は先を生きている人間ですよ、あなた方よりも進んでいる存在なのだよ。と、そういった偉ぶった態度の作者がいる。
さぁ、ここまで上がっていらっしゃい、このようにしてみなさい。と、驕り高ぶりの極みのような言葉づかいをしやがる。
そういった類の本は、ハッキリ言ってぼくは苦手だ。
先とか後とか、上とか下とかじゃなくてさ。
君はそこにいて、ぼくはここにいる。そして彼はあそこにいる。
ただ、それだけだろう。
それだけのはずなのに、それぞれが立っている場所に勝手に順列をつけて、さぁ教えて差し上げようと。
そんな態度で書かれた文章はすぐにわかる。他者を見下している臭いがする、驕りの臭いが。
組織とか家庭とかそういった組織のなかでは、立場による上下関係は発生するだろう。
だが、それを取り払った人と人との関係においては、上下関係はないはずだ。
…、ちょっと話が逸れてしまいましたね。
さて、この本では父と息子の関係性のなかで手紙がやりとりされているが、決して先のような、見下した驕りの臭いは感じられない。
親の言うことを聞け、このように生きろ、といった押し付けは一切ない。
代わりにそこにあるのは、愛だ。
君のことを気づかっているんだよ、心配しているんだよ、立派な人間になるための支援は惜しまないよ。そして、私の経験や言葉を通じて、少しでも学びのあることを願うよ。と、そういった息子への愛が文章から感じられる。
翻訳が上手なのもあるだろうが、あくまでも対等に対話をしたいという姿勢のなかで、父として息子への助言を送っている。
どの助言にも、息子の成長と成功、幸せを心から願っているという愛が溢れている。
だから、ぼくはこの本が好きだ。
何度もなんども読み返している本というわけではないけれども、久しぶりに開いて読むと、その度に身を正される思いになる。
やはり、ぼくにとっても、父親から手渡された本であるからだろうか。
きっと、そういった思い入れがあるのだろう。
ー
先日、甥っ子が高校生になった。
昔はよく一緒に遊んでいたが、ぼくが関西の大学に入学し福岡を離れてからは滅多に会えなくなってしまった。
そうしたら、いつのまにやら声変わりもして、甥っ子も高校生だ。
これからも、甥っ子とゆっくりと話をする時間なんてのはきっとほとんどないんだろう。
だから、実家に眠っていた私物のマンガと、入学祝いのおこづかいと、この本「わが息子よ、君はどう生きるか」をダンボール箱に詰め込んてプレゼントした。
彼が読んでくれるかはわからないが、読んでくれると嬉しいな。
ふと手に取る時が、きっと良いタイミングなんだろうなと思う。いつかでいいから、手に取ってくれると嬉しいな。
ー
わが息子よ、君はどう生きるか。
問われている。ぼくたちはどう生きるのかと。
先人たちから、そして次の世代からも、地球からも問われている。
価値あるものだと、意味あるものだと、この生命をまっとうしたい。
誰にだってある想いだろう。
けど、ふと思う。
あぁ、生きたいな。あぁ、そして、終わったな。
そうやって、それだけで死んでいくのも悪くないのかもしれないなって。
ー
さぁさぁ、どうやって生きていこうか。
全く、贅沢な悩みだ。
真っ暗な無人島の夜に、鈴虫の声が聞こえてきた。ヘッドライトをつけて、ノートにペンを走らせる。
ここ数日晴れが続いて、水をひいている小さな沢が枯れてきた。あと何日か雨が降らなければ水問題が起きるかもしれないな。
明日はなにをしようか。雨が降ってくれるといいな。
…、もうすこしで100日だ。
そうだ、街へ戻ったらソフトクリームを食べよう。あとはそうだな、チョコも食べたい。酸味のある料理も食べたいな。
実家に、美味しいワインと日本酒があったはずだ。あれを開けて家族で飲もう。
それから、お風呂に入って、布団でぐっすりと眠るんだ。
そうしよう。
i hope our life is worth living.