『秒速』から見る希望的観測
はじめに
突然だが、皆さんは『秒速5センチメートル』という作品をご存じだろうか。ひょっとしたら一度はその名を聞いたことがある人は多いかもしれない。
この作品は今から15年前、2008年に新海誠監督によって作られた約一時間の短編連作アニメーションだ。それも取り扱っているのは、小人数の人間関係(恋愛寄り)である。『君の名』のように隕石が落ちてくる訳でも、『天気の子』の様に東京が水没する訳でもない。
では何が、この作品の肝になるのだろうか。私ならすれ違いと答える。多分これは当作品を視聴した人の中だと、一つの共通認識めいたものがあると思われる。
ではそのすれ違いの背景にあったのは何だろうか、と言われるとこれが中々曲者で、私の中でははっきりとした形で湧いてこなかった。ところが、今日改めて見てみると何となくこうかなと感じたことがあった。この記事では、その気づきについて出来るだけ克明に描いていこうと思う。
それで結論として先に言っておくと、すれ違いの裏にあったのは相手に対する希望的観測というものだと考えている。というのも、この作品を見ていると重要シーンにおいて核心となる発言がされていない、いや避けられている節があるのだ。その後ろにあったものこそ、相手に対する信頼(状況的には捉えられるが、必ずしも言っていない)である。
第一話:『桜花抄』
まずは一話目の『桜花抄』から。後述の通りで、主人公は本州から遠く離れた主人公に会いに東京から栃木に赴き、そこから帰るシーンである。この場面では、ヒロインが主人公に対して「きっと大丈夫だから。」と励ましている。この行為において明確に言語化されていないところが問題なのである。当場面では、お互いにある程度脈がある流れで進んでいったという流れにあるのだが、ここにおける「大丈夫」はどこまでの範囲で言っているのかがいまいち読み取れないのだ。つまり両者の中での合意があるかと言われると…?というような感じなのである。実際に見ていると主人公の不安げな表情と、ヒロインの寂しげな中にも前を向こうとする姿勢と対照的な部分が垣間見える。この流れをもって、発言を完全に理解することが出来なかった主人公は、希望的観測という名の病を抱いてしまうのである。
※作中において、主人公はこの前のキスをした場面でお互いがもう交わることはないと悟っている描写はある。しかしそれ以前のシーンで、ヒロインが寂しがっていることも想像しており、振り切れていないと言える。このような際に希望的観測を持ってしまった主人公に対して、思いを伝えきったヒロインは持ってきた手紙を敢えて渡さなかった(=踏ん切りをつけた)ので、彼女の方は引きずることはなかったと推測することができる。
第二話:『コスモナウト』
次は二話目の『コスモナウト』。東京から種子島にやって来た前話の主人公に対して、島に住む二人目のヒロインが恋心を抱く話である。この話のキーとなるポイントはストーリーテラーが彼女に移っていることであり、また持った希望的観測を残酷ながらも早々に捨てることが出来たという点である。このヒロインは進路、そしてサーフィンに打ち込んでいるのだが、その前進・後退は彼との関係性あってのものであり、基本的に彼との距離が近づいていく中でその希望的観測を深めることになる。しかしながら、話が進むにつれて段々と彼が自分ではない誰か見ているを気づき、最終的に振られるという形でその想いと希望的観測は一気に立ち消えることに。
そして、この話におけるクライマックスはヒロインが彼からフラれた後のロケットの発射シーンである。元々作中で「どこか遠くを見ている」とか「ケータイをいじっている」という感想があることから、自分には脈がないとヒロインの方は薄々感じていた←(この諦めが一話目と明確に違う)のだが、別れを告げられた後ほぼ同時に打ち上げられたロケットに夢中な主人公を見て、埋められない溝を体感した形となっている。(ただしここまでヒロインが溝を体感、つまり希望的観測を砕かれた背景としては、やはり彼に対して直接的に一番気になってきたこと=【ほんのりと見え隠れしていた他の異性の影】を聞こうとしなかったところがあったのは否めない。)
※あくまでこれは私自身の当てのない推察になるのだが、ロケット発射後の煙によって生じた光と影は彼女らの関係性の変化、ロケット自身は前主人公の彼、そして煙は彼の一人目のヒロインに対する解釈すると面白い。(ロケット=彼であるという部分については、当時の本人がロケットに興味を持っていて、彼の妄想において出てきた地球ではない謎の惑星=【一話目のヒロイン?】を着地点とするとそこそこ辻褄が合うような気もしなくもない…)
第三話:『秒速5センチメートル』
そして最終話の『秒速5センチメートル』。この話において希望的観測を有しているのは、1話目・2話目において登場した主人公であり、この話から登場した彼の彼女となった人物の二人である。一話のところで主人公については語らせてもらったので、彼女のみ解説する。
彼女が希望的観測を抱くような切っ掛けは非常に分かり易く、彼氏である彼が未だに1話目の彼女に残っていた未練(後に消える)で完全に心に許すことが出来なかったことである。この難航した状況に対して、彼女の方もメールを1,000通ほど送るなど努力はしたのだが、それ以上はできることが無くなり破局という形に至ることとなった。
まとめ
ここまで三話の中でそれぞれ誰がどのようにして希望的観測を抱く様になってしまったのか、という感じで論を進めてきた。その中でそれぞれの原因の根幹にあったのは、相手のことを慮る余り最後の詰めとなるコミュニケーションを欠いてしまったことなのかなと思う。しかもこれらのディスコミュニケーションは悪意に依るものではなく、成り行き上避けられなかったというのがどうにもやるせない。そしてそのようなところがあるからこそ、この物語や主人公に対する気持ち悪さを感じる人がいるのだろう。
そう考えると、あくまで極論であるが新海監督はこの作品を通じて思いを齟齬の無い様に相手に伝えることの大切さを説いているのかもしれない。仮にそこまでの意図がないにしても、普遍的なテーマで人の感情を映像化できる新海監督の手腕は本当に凄いと思う。
最後にこの作品を見て、そして書いてきたことを踏まえて一つだけ言えることがあるとすれば、それは終わった過去の希望に縋らない(=自分にとって変えようのない希望的観測を捨てる)ことなのではないだろうか。過去に答えを探したって、歴史という結論や過程以上のことは教えてくれない。
私たちは今この瞬間を生きているのだから。
P.S. 桜花抄のシーンをよく見ると、ヒロインが公衆電話で話してる(内容は栃木への引っ越し)横で運送会社のトラックらしき車が走っている。…本当に凝っている。