見出し画像

教育に感じる壁

こんな記事を読んだ。教育って本当に難しいなと思った。最近自分も似たような部分に壁を感じていたので、ちょっと考えてみた。


1. 教師目線では良さそうなプログラム

「座学はしません。課題を与えます。私(教師)は進捗管理します。」
これはとても良さそうなプログラム。しかし、失敗した。その理由を考えてみよう。

いや、私はプログラミング素人なんで、自分の分野で考えてみる。
Nyeの『国際紛争』を1章ずつ読んできて、要約と妥当性の検討をしてください。それをもとに週1で議論しましょう。あなたの発表を聞いてフィードバックしましょう、というかたちでやってみたとしよう。

https://amzn.asia/d/fE7Vkhy

国際政治学の前提知識ゼロでこれやったら7,8割失敗しそう。大学の偏差値はほぼ関係ない。かなりしっかりした子じゃないと厳しそう。とはいえ、
理由はたぶん ①最初の状態ではモチベーションないから、なぜ?なんのためにこれをやるのか?がわからないと続かなそう ②ネットとかAI使ってそれなりにまとめてくるはできそう。でもそれすると自分はわかってないから議論したときに壊滅する。

逆にこれでうまく行く子はどんな子かというと、なぜ?なんのためにこれをやるのか?が不明確であったとしても、とりあえずやってみる!ということができる行動タイプ。それから自分の中で「課題感」があって、なにができないか、なにをすべきかが明確なタイプ。要するに自分でPDCA回せるタイプである。

おそらく、自分の中で「理想的な学習者タイプ」を無意識に想定し、それを基準に授業を設計していることが、この問題の根底にあるのだと思う。これがたぶん教師目線では良さそうなプログラムで、学生さんたちが脱落していくパターンの本質であると思う。つまり、教師目線で一見良さそうに見えるプログラムが、実際にはOne Size Fits All(画一的な設計)を想定しすぎているのではないか、ということである。

2. 結局課題は何か?

この話は、座学なしでいきなり演習放り込む系の日本型大学院にとってのいい教材になりそう。結局問題は3つかな。

1)モチベーション

最初の段階でモチベーションが自然に生まれることは期待できないため、「なぜこれをやるのか」「この課題がどんな意味を持つのか」を説明することが重要。これがないと課題が「義務感」になってしまう。また、短期的な達成目標を設定することで、学生が進捗を実感できる仕組みを作ることも効果的かもしれない。

2)フィードバック

学生が出してきた進捗に対してフィードバックが必要。いや、こんなことは当たり前なんだけど、フィードバックを与えるだけでは、その場限りで終わりやすく、学生にとって意味のある改善につながらない可能性が高い。なので、フィードバックして、それが次回からよくなっているかの確認も必要。具体的なアクションプラン「次回の議論では、〇〇を気を付けてください/〇〇を掘り下げてみてください」も重要。

3)学生のコンテクストを理解

①②の前提として、学生の能力や背景知識(コンテクスト)を正確に把握すること(どの程度理解できているか、何が得意なのか)を最初に行うことが重要である。これがないと何に興味あるかもわからないし、フィードバックしたとしてどこまで理解できるかわからないから、効果的に①②ができないということになる。これはどうやったら知れるかって難しいんだけど、自己評価してもらって個々の理解度や興味のある分野を確認するというのも良いのかも。

この3つは結構強く結びついているだろうと思う。よく「学生にモチベーションがない」「行動力が足りない」といった問題が指摘されるが(これは私も日々感じてしまうことが多いが…)、以前のブログでも書いたように、「最初からモチベーションなんてないし、上がるわけがない」と考えている。モチベーションは、ある程度の成功体験や進捗が見えてくる段階で初めて生まれるものであり、最初から期待するのはあまり合理的ではない。

では、モチベーションがない中でどうするか?まずは「なんかよくわからないけどやってみる!」という行動を起こすことが大事。しかし、行動力も自然には生まれにくいので、「なんでこれをやるのか?」という目的の確認が重要になってくるのだと思う。

目的設定がなされない場合、授業や課題は単なる「義務感」によって進められるだけのものになりがちで、これは学生にとっても負担が大きく、教師側から見ると「モチベーションがない」「行動力が足りない」といった評価を下してしまう原因にもなりかねない。

3. 日本型大学院教育への示唆

この記事で挙げた問題と解決策は、特に日本型大学院教育における「座学なしでいきなり演習に入る形式」に対して示唆があるのかなと思う。私の知る限り、国立大学の社会科学系大学院では、座学を省略していきなり演習に入る指導形式が非常に一般的である。とくに上で書いたような「学生に目的を示すこと」は、特に大学院レベルの教育において軽視されがちで、とくに大学院生は既に自分の研究テーマを持っていると仮定されることが多いため、「目的は各自で理解しているだろう/各自で判断するだろう」という前提で授業が進められることが少なくないと思う。

1)座学なしの意味

座学をしないことの意味は明確で、大学院の場合は皆それぞれ研究テーマを持っている。研究テーマ持ってる人間に一方通行型の授業をしてもしょうがない。なので、それぞれの研究テーマに応じた文献の輪読をするわけである。

2)演習の意義

ただ、それも学生の状況考えずに一方的に文献決めて輪読するのは意味ないと思う。それは一方通行型で授業するのと本質は同じだから。学生の研究テーマ理解→モチベーションにつながる文献設定→何故それをするのかの確認→輪読→フィードバックというサイクルが重要なのかなと思う。

おわりに

授業を設計する際、自分の中で「模範的学生」というモデルを無意識に想定してしまうことがある。このモデルにうまく当てはまる学生にとっては良い授業になるかもしれないが、そうでない学生にとっては苦痛な時間になりかねない。そして、この「モデルに合わない学生」の方が、実際には多数派だろう(教師というのはある意味「生存者バイアスの塊」で過去の成功体験から授業つくってるのだから、特定の層にしか対応できない授業設計しがちという気はしている)。

ここで重要なのは、最初の段階で「なぜこの課題を行うのか」をしっかりと伝えることだと思うー例えば、課題の目的を「研究テーマを深めるための基礎的理解の獲得」や「政策決定の背景にある理論の習得」といった形で明確に伝えること。さらに、教師自身も「模範的学生」のモデルに固執することを避け、多様な学生像を受け入れることが必要なのかなと思う。自分自身が十分に実践できているとは言えないが、この振り返りを通じて、授業設計の課題と改善の方向性について改めて考えさせられた。

いいなと思ったら応援しよう!