【2020.04.06】周囲のバカバカしさばかりが目についてしまう虚しさ。大げさなもの言いの中に潜ませた強がりや気取り。だけど根っこの部分では人も世の中も恨みきれない小心と優しさ。
「こんな状況だけど、今期はできるだけ利益を出そう」
数字に想いを込めて、数字で絵を描き、数字で表現する。そのことは常に大事にしながらも、普段は損益分岐を急がず、稼ぐこと以上にクリエイティビティの発揮を大事にしている人。その人が今朝、珍しく力を込めてそう語った。
もちろん、「無理して働いて稼げ!」というブラックな意味ではない。そんなことを言う人では決してない。テレワークも導入しているし、安全を確保した上での話。そして、強引に売り込む努力をするという意味でもなく、この状況だからこそ生み出せることをもっと想像して、創造する努力をしよう、という意味だと思っている。
利益を出したい理由は何か。
お世話になっている身近な人たちの中には、いくら補償制度が出始めてきたとはいえ、この長期戦でこれから困った状況に陥る人もいるだろう。その姿を想像したときに、その人たちの力になれる自分たちでありたい、ということ。「社会に貢献したい」という気持ちももちろんある、けれどそれ以上にまずは、顔が見え、心が繋がっている協業者や仲間のためになれる自分たちでありたい、そのための体力をきちんと蓄えておこう、ということ。
普段は適当に見えても(失礼)、「ここぞ」というときの言葉は強い。ちょっと身震いした。緩みかけていた背筋が伸びた。
とても良い週明けだ。
夕方も嬉しいことがあった。
入社2年目の同僚が初めて担当した記事が先ほど公開され、早くも反響を呼んでいる。公開から4時間経っているけれど、いまだにTwitterの通知が途絶えない。多方面からのフィードバックを受けて、最後の最後まで粘り強く編集作業を続けていたから、報われていると思うと自分ごとにように嬉しい。
僕の会社は少人数で、メンバー間での「相談」をかなり頻繁に行っているほうだと思う。一つの記事に対して、担当者以外のメンバーが何人も、何回もフィードバックをし、時間をかけてつくりこむ。普通の目線からしたら「遅い」と思われることも多いかもしれない(実際に、ちょっとのんびりしていることもある笑)けれど、「早さ」よりも「丁寧さ」「深さ」「(読み継がれる)長さ」を大事にしたいと思っている。
そういう意味で、「バズる」ことは僕らが目指すところではない。けれど、質を犠牲にしてウケだけを狙ってつくったのではなく、これだけ丁寧に育ててきたものが多くの人に届く、というのはやはりとても嬉しいこと。「広さ」「多さ」を至上命題にすることはない。けれど、「深さ」を大切にした結果として「広さ」「多さ」を獲得できたのであれば、それは素直に喜ばしいことだ。
その深さや広さの結果、「ポジティブな変化」が生まれることを願って仕事をしている。
なんだか、今日は真面目だぞ......いつもなら字数稼ぎで書いているはずの「くだらないこと」をまだ書いていないぞ......
まあいいや。
本の話。
昨晩から、これまでやったことがない読書法を取り入れてみた。「同じタイトルの、違う翻訳版の本を、同時に読む」という読み方だ。選んだ本はこちら。
好きすぎるんですよ、この小説。一言で言うと「イノセント」。これ以上にイノセントな小説はなく、ホールデンほどイノセントな人物はいない、とすら思う。
周囲のバカバカしさばかりが目についてしまう虚しさ。
大げさなもの言いの中に潜ませた強がりや気取り。
だけど根っこの部分では人も世の中も恨みきれない小心と優しさ。
読者への打明け話風の語り口も癖になり、とにかく好きな小説。
野崎孝さん訳のバージョンも持ってはいたけれど、村上春樹さん訳のほうしか読んだことがなかった。昨日たまたま本棚で目についたので、「よし、寝る前に毎晩1章ずつ、同時に読んでみよう」と思い立った。
これがなかなかに面白い。地の文がすべてホールデンの独白なので、とにかく癖が強く、その訳し方に訳者の個性やこだわりがよく表れる。驚くことに、まだたった一章しか読んでいないのに、すでに16歳の主人公ホールデンの、脳内で再生される見た目も声も違っている。
村上春樹さん版のホールデンは、体躯はやや細めで、かわいいハンサム系。『ホーム・アローン』でマコーレー・カルキンが演じるケビン・マカリスターくんのようなイメージ。
野崎孝さん版のホールデンは、ちょっとぽっちゃりしていて、もしかしたら鼻水も垂れているかもしれない印象。声も少しもっそりしている。
これからどんな違い、どんな共通点が見えてくるか。今晩も次の章を読むのが楽しみでならない。「毎晩一章ずつ」と書いたけれど、果たして一章で止められるだろうか......
明日で日記継続7日目。
徐々に「書く」ことの楽しさが戻ってきて、今日が一番気持ちよく書けた。引き続き、誰のためでもなく楽しもうと思う。