【2023.07.01土】病の経験をしたことも、いまではある種の特権になっていることを忘れてはいけないと思う。
「推し本を紹介しあう」というイベントを、先月社内でおこなった。参加者の一人が紹介していた本を編集長が読み、「とてもよかった、ゆうやくんの選書候補にいいかも」と貸してくれた本を、いま読んでいる。
大手広告会社のエリート街道をひた走っていた著者が、ある日とつぜん解雇を言い渡される。高給だったとはいえ、子どもが多く学費がかさみ、貯金に余裕はない。そんななかで、出来心に負けて過ちを犯し、家族とも離別。一人暮らしとなったアパートの家賃すら心もとない生活に陥ってしまう。
真っ逆さまに人生を落っこちていった著者が偶然出会ったのが、スターバックスでの仕事だった。その仕事や会社の文化が彼を救っていく様子が描かれたノンフィクションが本書らしい。
まだ1/3ほどしか読んでおらず、「救い」が生まれていく様子には一部分しか触れられていない。
ここまでのところで心が動かされているのは、むしろ彼の「懺悔」のほう。
子どもの成長もろくに見守らないままに仕事へ没頭してきた後悔。それだけではなく、特権意識にまみれ、有色人種の社員を不当に扱っていた過去なども語られる。皮肉なことに、まもなく64歳を迎える彼をスターバックスに採用してくれたのは、黒人の女性だった。
特権意識。
これは去年『対立の炎にとどまる──自他のあらゆる側面と向き合い、未来を共に変えるエルダーシップ』(アーノルド・ミンデル著)という本を編集してから、他人事ではなくなった言葉。
大金持ちなわけではなくとも、エグゼクティブの役職に就いているわけではなくとも、自分は十分に特権を享受してこれた人間なのではないか。
苦しい病を経験し、落ちるところまで落ちた経験をした。そんな自分としては、これは認めたくない気持ちだった。「あなたはエリートだ」と言われたことがあったけれど、そのとき反射的に否定したくなった自分がいた。
けれど、近年いろいろな立場や苦境にある人たちと深く接するようになって、自分が自分の努力とは別の理由で受け取ってこれたものが多いことに気がついた。努力で得たものがあったとしても、その努力を満足にできる環境にあったことも、特権のひとつと言えるはず。
この特権意識は無意識に潜み、だからこそ日々の何気ない言動に表れる。「知らないうち」に他者から感じ取られ、溝を生み出していく。距離が生まれるだけならまだしも、相手を深く傷つける危険さえもある。
アーノルド・ミンデルさんは、年齢・性別・人種・学歴……さまざまなカテゴリーで持つ特権を「ランク」と呼び、それゆえに生まれる相対的な力を「パワー」と呼ぶ。そしてそのパワーは、ランクに対して無自覚に行使されれば暴力的な働きをし、逆に自覚的に用いることができれば、目の前の人との関係性や、さらには世界を良くする力になると言う。
すべては、好むと好まざるとにかかわらず自分が持っているランクやパワーを「自覚」できるかどうか。
その自覚には痛みがともなうことが多い。それでも、その自覚を怠ることで起きる痛みは、自分にも他者にも及ぶことになる。
『ラテに感謝!』の主題とは外れた内容になってしまったかもしれないけれど、最初の100ページくらいを読んでいまの自分に浮かんでいるのは、「あらためて特権意識と向き合いたい」という感覚。
病の経験をしたことも、いまではある種の特権になっていることを忘れてはいけないと思う。乱用すれば、相手に過剰に気を遣わせてしまったり、近寄りがたさを生むかもしれない。注意しなければ、痛んだ経験を「お前なんかより!」と振りかざしてしまうかもしれない。
『ラテに感謝!』のなかで、著者がもう一度人生を立て直そうと懸命に掃除したトイレにアフリカ系アメリカ人のホームレスの老人が入っていこうとするときに、それを遮ってしまうシーンが描かれる。仲間から注意を受けた著者は、こう振り返る。
特権意識とはそれくらい根深いものなのだと思う。痛い思いをしてもなお、簡単に剥がれてくれるものではない。一生かけて向き合うもの。
だからこそ、他者が特権を振りかざしてしまったときも、自分が愚かにも無自覚に特権を乱用してしまったときにも、一定の寛容さは必要なのかもしれない。「また向き合おう」という気力を持てなくなることが一番怖い。
誰かの言動を「許せない」「我慢できない」と思うとき、その誰かには、そうせざるを得なかった背景があったりする。そしてその抱えた背景は、自分が生きてきた世界からは想像できないものだったりする。自分が持つ特権に無自覚でいると、その想像をする余地がなくなり、ただ一方通行な正義を振りかざすだけになる。
いま一番恐れているのは、そんなことかもしれない。
・・・
こうやって、本を読み終わったあとの感想だけじゃなく、読んでいる途中に考えることを脱線も含めて綴っていくのはいいかもしれない。「読書」と「執筆」を取り戻したいという気持ちが日に日に高まっているいま、最初の取り組みとして実験的にやってみた。
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