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アンコールの虎

 カンボジア 未来に向けた取り組みをしています。
アンコールワットとはクメール語で「寺院のある町」の意味で
アンコールトムとはクメール語で「大きな町」です。
水利システムの崩壊と共にアンコールワットは密林に消えました。
アンコール遺跡群の現状 1908年から人から人手による日常的な
保護作業を続けてきた。「インド考古局」1987年から 
回廊の水たまりを竹ほうきで掃き出す作業をしてきた。
蜘蛛の巣や鳥の巣を除くすす払い作業をおこない保存修復を手掛けてきた。
ここまで壊された自然。アスファルトジャングルで暮らす現代人
 自然の復活の仕方、再興の仕方 自分たちのくらしも
もっと自然なものに取り戻していかないと 自分の道を見つめている。

水の都 アンコールの虎
 昔アンコールワットは虎の棲み処でした。
トラは昼間廃墟になったアンコールワットで眠り 夜にはなると当たりを徘徊しました。アンコール地方は、水利都市を呼ばれています。
千キロにもおよおぶ水路がありました。
 虎はいつも朝から酒を飲んでいます。竹筒に溜まった水は二、三日で発酵しお酒に変わったのでした。
あまりの暑さに虎は水浴びをしようと水路にやってきました。トラは酔った勢いで流されていきました。ある月夜 トライはバライと呼ばれる大きなため池にはまってしまいました。水はバライから溢れだし 田畑へと流れ出しました。バライの水は冠水し 自然な灌漑水となり田畑を潤したので村人たちは大変よろこびました。トラのおかげで2毛作3毛作できるようになり 村はどんどん豊かになっていきました。トラが大きな池で水浴するたびに、水があふれ自動的に灌漑されるので、村人たちは最初は恐れていたトラを大変重宝するようになりました。
  アンコール地方には、地下にも都市がありました。ある嵐の夜 トラはあっという間に地下の水路に飲み込まれ また何千キロも旅することになりました。やっと見つけた出口、そこは冷たいアムール川に接続していました。シベリアの凍える大地、トラはなれない気候にブルッとふるえました。雪の中から1匹のメスのトラが現れました。追いかけっこがはじまり、アンコールのトラはアムールのトラと一緒に仲良く暮らすようになりました。
 
(参考文献)上智大学 資料
村は寺院を維持するため、造られました。周囲の村々には寺院に物資を供給し、自給自足を体制を整えました。食べ物を確保するために近くの森を切り拓き下生えを取り除き、園地田畑をつくり、生活用水を得るために、家宅の近くに池を掘り、その掘削した土砂で周りに土手をつくり、貯水池としました。村の一つとして竹の生えた池を建設しました。
自然の水流を人為的に変更させる水利プロジェクト村人の水神信仰 アンコールワット不老不死の妙薬アムリタアンコールワットは水神ナーガによって しっかりと守られている。アンコールワット地域は相対的に乾燥した熱帯性気候であり、年降雨量約1500ミリ内外です。そのため「水」を貯えることは この地域に住む人々にとって昔から生活の基本でもあった。巨大な田越し感慨と言われるものである。貯水池の堤を切ると傾斜に沿って水はゆっくり流れていく。さらに下の土手を切れば、水は低い方に落ちていく。巨大な貯水から水の供給は行われたか。貯水池に取水口施設と用水路が欠落している点上流側から田面を越流させていく方式が、水路よりむしろ簡単で確実な方法である。一般に水路で水を導き広域に目的どおり分水 配水することはけして簡単なことではない。得意な灌漑様式 ふしぎな水利構造物堰を必要に応じて適当な場所で切り崩すことによって十分対応可能
土手に囲まれた大区画を一枚の田として田植えを行い、稲が根付いたら最小限の水を残して下の次の囲いにおろしていく これこそアンコールワットの大扇状地碑文においてはバライについての宗教的 政治的側面は主権と結びつき基づき それなりに言及されている。しかし バライの経済的 農業的事項については言及がない。アンコール都城域のbarayや壕は、いずれも付近流れるシュムリアップsiem reap川から導水していた。天水田は文字通り天水つまり 雨水に頼った水田である。堰堤の一部または複数箇所から解き放たれた貯水池の水は田面を越流しながら下流へと流れ広がっていく。余分な水は土堤で止められ土堤の上流側を一面に湛水させる。すなわち複数列の長大な土堤は大規模畦畔のようなものであり、全体として いわば巨大な田越し 灌漑システムが構成されていることになる。傾斜平板地形に築かれた土堤に水を供給するのに水路に水を供給するのに 水路は不必要であり、平板上を薄く流してやればよいと考えられる。


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